飛鳥の会             

飛鳥だより 第1号〜第26号

飛鳥だより 第27号〜

Dr. Tosh
 Dr. Tosh こと四宮敏章です。 国保中央病院、緩和ケアホーム「飛鳥」で働いている医師です。
 緩和ケア、心療内科を専門にしています。よろしくお願いします。
 「飛鳥の会」のみなさんのご厚意でこのブログをやらせていただくことになりました。
 毎日はとても無理なので、週1更新を目標に活動させていただこうと思います。
 このブログでは、緩和ケアホームスタッフの日常、患者さんとの触れ合い、さらには奈良県の緩和ケアの状況、自分の趣味のこと(中古レコード収集が趣味です。ジャズ、ソフトロック、ブラジル音楽など聞いています。) その他もろもろ自分が感じたり、思ったりしたことをつれづれに書きたいと思います。
 皆さんの感想などいただければ幸いです。


Dr. Tosh へのご質問、ご相談、ホスピス通信についての感想などは、当会の連絡先にお手紙又はE−Mailにてお送り下さい。


Dr. Toshのホスピス通信 
※ホスピス通信は第26回をもって終了いたしました。
※今日の一曲のうち、著作権の関係で聴けないものがあります。

第26回(平成25年2月27日)(最終回)

  まだまだ寒い日が続きますが、皆さんお元気でしょうか。
  最近 Facebook で感動的な話をみましたので、シェアしたいと思います。

  「いのちをいただく」 文 内田美智子

  坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。 牛を殺して、お肉にする仕事です。 坂本さんはこの仕事がずっといやでした。 牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。 だから、大切な仕事だということは分かっています。 でも、殺される牛と目が合うたびに仕事がいやになるのです。 「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。

(中略)

  ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが、事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。 荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。 坂本さんが「明日の牛ばいねえー」 と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。 そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。

  坂本さんは、「危なかねえ」 と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。 すると、女の子が、牛に話しかけている声が聞こえてきました。
 「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ。 みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん。 みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。 ごめんねぇ、みいちゃん、ごめんねぇ」 そう言いながら、一生懸命牛の腹をさすっていました。
  坂本さんは 「見なきゃよかった」 と思いました。

  トラックの運転席から女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。 「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっと、うちに置いとくつもりでした。 ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、よろしくお願いします」

  坂本さんはまた、「この仕事はやめよう。もうできん」と思いました。 そして思いついたのが、明日の仕事を休むことでした。 坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる」 そう言うと、しのぶ君は 「ふーん」 と言ってしばらく黙った後、テレビに目を移しました。

  その後、いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。 しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」 坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。

  朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。 「行ってくるけん!」 元気な声と扉を開ける音がしました。 その直後、玄関がまた開いて 「お父さん、今日は行かなんよ!」 「わかった?」 と、しのぶ君が叫んでいます。 坂本さんは思わず 「おう、わかった」 と答えてしまいました。 その声を聞くと、しのぶ君は 「行ってきまーす」 と走って学校に向かいました。 「あーあ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」 と、お母さん。坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。

  会社に着いても気が重くて仕方ありませんでした。 少し早く着いたので、みいちゃんをそっと見に行きました。 牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するようなポーズをとりました。 坂本さんは迷いましたが、そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、次第に坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。

  坂本さんが 「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう」 と言うと、みいちゃんは坂本さんに首をこすり付けてきました。 それから、坂本さんは、女の子がしていたように腹をさすりながら 「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」 と言い聞かせました。

  牛を殺し解体する、その時が来ました。 坂本さんが 「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」 と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。 その時、みいちゃんの大きな目から涙がこぼれ落ちてきました。 坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。 そして、坂本さんが、ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、少しも動くことはありませんでした。 普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、倒れた後に大暴れするそうです。

  後日、おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、しみじみと言いました。 「坂本さんありがとうございました。きのう、あの肉ば少しもらって帰って、みんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが 『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそかろ?食べてやんなっせっ』 て言うたら、孫は泣きながら 『みいちゃん、いただきます。 おいしかぁ、おいしかぁ』 て言うて、食べました。ありがとうごさいました」

  坂本さんは、もう少し、この仕事を続けようと思いました。


  <今日の一曲>
  アン・ルイス
 ANN LEWIS - WE'VE ONLY JUST BEGUN(1984)
  最近発見した曲です。 竹内マリアがバックコーラスしています。


  というわけで、私は今月で緩和ケアホーム「飛鳥」を去ります。
  当然、Dr.Toshのホスピス日記もこれで終わりです。
  それでは、皆さんごきげんよう。



第25回(平成24年12月28日)

  今日、マザー・テレサのこんな言葉に出会いました。

  人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。
  あなたが善を行なうと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。
  目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。
  善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。 気にすることなく、し続けなさい。
  あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。 気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。
  あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう。 気にすることなく、作り続けなさい。 助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく、助け続けなさい。
  あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい。 たとえそれが十分でなくても、気にすることなく、最良のものをこの世に与え続けなさい。
  最後に振り返ると、あなたにもわかるはず。
  結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。 あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。

  読んでから、とめどもなく涙が溢れてきました。

  先週末、終末期肺がんの義父と、家族全員で吉野に旅行に行ってきました。
  素晴らしい雪景色でした。
  一生忘れられないでしょう。
  一生この仕事を続けよう、そう決めている自分がいました。
     

  <今日の一曲>
  Harry Nilsson Snow


第24回(平成24年11月27日)

  気が付いたら、もうすぐ12月ですね。
  先日二上山に登ったら、紅葉がすばらしかったです。
       

  さて、先日妻からびっくりした話を聞きました。 彼女が電車に乗っていた時、医学生か、看護学生らしい女性二人が大きな声で話していたそうです。 どうも解剖実習のことを話していたようなのですが、内容が聞くに堪えないようなものだったそうです。 ご遺体に対して、うちの班のじじいはさー、メスで切るときって超楽しー、等々と話していたそうです。
  「思わず、公共の場で話す内容ではないですよ、と注意しようと思ったけど、何をされるか怖かったのでやめた。 あなた、なんとかしなさいよ。」と妻に言われました。
  私も学生時代、解剖実習のとき友人たちと軽口やジョークを言っていた覚えはあります。 それはご遺体に直面することが怖いと思うことを「否認」したい行為だったと思います。 彼女たちの言動もそうかもしれません。 しかし、私たちは仲間内だけで、電車など公共の場で話したことはありませんでした。 多くの医学生がそうでないとは思いたいですが、彼女たちには最低限の倫理観が欠如しているとしか思えませんでした。
  また、ある知り合いの看護師から聞いた話です。 彼女は一般病棟で師長をしているのですが、患者とうまくコミュニケーションが取れない若い看護師たちが多く、どうしたらよいかを考えたそうです。 彼女は看護師たちが病室に行った際、必ず患者のスリッパを揃えるように指導したそうです。 そうすると、患者から看護師のケアに対する感謝の言葉が明らかに増えたそうです。
  日本人は古来より、「形」や「形式」から入り、その後、物事の本質をつかむというアプローチを大切にした民族であると思います。 「作法」「手習い」「礼儀」等を重んじてきたのです。 それに「美」を感じてきたのです。 スリッパを整え続けた看護師に対し、感謝の気持ちを示した患者たちは、そういった「日本人」です。
  しかし、この「美意識」「倫理観」は戦後60年で失われてきたもののひとつかもしれません。 日本人が本来持っていた素晴らしいものを、再び思い返す教育が必要と思います。 例えば、「看取り」。看取りにも作法があるように思います。 患者、家族に接するにも日本人らしい作法があると思います。

  知っておられる方も多いと思いますが、実は来年に奈良医大に転勤になります。 大学では、医学教育にも頑張りたいと思っている今日この頃です。

  <今日の一曲>
  D.Faure と言う人が作ったMozardiseという曲です。
  '60年〜'70年代にヨーロッパ各地でラジオ局などのために安価で製作されたレコードが、いまでもたくさん残されています。  しかし、数十年経った現在聴くとかっこいいんです。  その中の1曲です。

  Mozardise by D.Faure


 第23回(平成24年10月4日)

  今月は秋がすこしづつ深まっていますね。
  皆さん、お元気でしょうか。
  先日のハイキングは、残念でした。雨男、雨女がいるのでしょうか? 次回こうご期待と言うところでしょう。

   さて、時折代替医療についてのお尋ねが僕にあります。 そこで今回は、僕が代替医療について思っていることを書こうと思います。
  がん患者さんの多くが代替医療を受けておられるようです。 うちのホスピスに入院される方でも、3〜4割の方が代替医療を経験されています。
  僕が今まで経験した患者さんで、代替医療を希望される患者さんのタイプは、
   @抗がん剤など、通常の治療はすべて拒否されて、代替医療を
     希望される方
   A抗がん治療が無効となって、あるいはできなくて、「わらをもす
     がる」気持ちで代替医療を希望される方
   B抗がん治療が無効となったが、今後のことを覚悟ができてお
     り、緩和ケアなどちゃんとした医療機関で受けながら、もしか
     して効くかもしれないという希望を持って代替医療を希望され
       る方
   C抗がん治療など通常の治療も受けながら、上乗せ効果を期
     待して代替医療を希望される方に分けられると思います。

  B、Cであれば、問題ないと思います。問題は@かAのケースです。
  残念ながら、現在でも「代替医療」はがんを治癒させたり、軽快させる効果はほとんどありません。 それゆえ、保険医療となっていないのです。
  代替医療の多くは法外に高額です。 しかも僕の知る限り、少なからずの代替医療治療家は、がんの治癒を目指し、緩和ケアは敗北の医学と思っておられます。 残念ながら亡くなるまで責任を持って診てくれる治療家は少ないと思います。
  したがって、@、Aのケースで代替医療にかかった患者さんは、痛みなどの症状で様々に苦しみ、最後は通常の医療機関に頼って来られます。 ホスピスにもしばしば来られます。 悪い言葉を使って申し訳ありませんが、「しりぬぐい」させられるのです。
  がんは事実に基づいた妥当性のある治療法で治療すべきであり、代替医療はあくまで補助的なものと考えるべきでしょう。
  代替医療に関連して、僕が出会った印象深い患者さんのことについて書きたいと思います。
  50歳代の乳がんの女性でした。 5年前に手術をし、2年前に再発、抗がん剤治療を続けていました。 しかし、肝転移、骨転移は進行し、疼痛などの症状緩和を依頼され、僕が関わるようになりました。
  胸椎から腰椎にかけて多発骨転移があり、これが痛みの原因でした。 多くの薬剤を使い鎮痛を試みましたが、十分に取りきれません。 麻酔科に依頼し、脊髄に直接鎮痛剤を投与するブロックをしてもらうしかない、と思うようになりました。
  さらに彼女は抗がん剤の副作用にも悩んでいました。 「抗がん剤は効いていないようだし、もうやめたい、でも母が・・・。」と彼女は言われました。 お母さんが、なんとしてもがんが治ってほしい、と思っておられるのです。 今までも何種類もの自然食品を買っては、彼女に飲ませていたようです。 そして、とうとう、大阪の代替医療の病院に行くように彼女に言ってきたのです。
  彼女は悩みました。でも彼女はお母さんのために、大阪の病院に行くと決意されました。 僕たちは止めました。 痛みは全然良くなっていないのに、痛みの治療のために行くわけではないので、ただ体力を消耗させるだけだ、と思ったからです。 肝臓の治療のために行くのです。 しかし彼女は行きました。
  2ヶ月後、彼女は帰ってきました。 残念ながら、肝臓の腫瘍は縮小していませんでした。 しかし、痛みが全く消えていたのです。
  何故だろう、僕たちは本当に不思議に思いました。 骨転移の部分も全く変わっていなかったのです。
  彼女が言いました。 「治療が終わった後、母が言ってくれたの。『めぐみちゃん(仮)、本当にありがとう。 私のためにつらい治療を頑張ってくれたんだね。 今までお前のために良かろうと思ってやってきたことだけど、負担にもなっていたってわかったよ。 もう十分気はすんだよ、これからはお前の好きなようにやっておくれ。』って。 私うれしい。」
  それから、痛みの増強は一度もなく、半年後彼女は安らかに旅立ってゆきました。
  僕は今まで通常の治療法以外の方法で末期がんを克服した人たちに会ったり、本で読んだりしたことがありました。 彼らは様々な代替医療をされたり、宗教に出会ったり、あるいは自己流の方法を試されたりしていましたが、共通する点が一つありました。 それは「感謝」の気持ちでした。 がんが治ったから感謝するのは当たり前だろう、と思うでしょうが、そうではなく彼らはがんになったことに感謝しているのです。 がんになってから、自分が本当に多くの人たちから愛されていることが分かった、自分が生かされていることが分かった、がんになる前の自分はなんて自分勝手で、利己主義だったのだろう、と口をそろえて、言っておられました。 がんになったから、新しい本当の自分と出会えたんだ、と言っておられたことは、とても印象的でした。
  がんが治って、ありがとうというのは誰でも言えます。 それは単なるお礼です。 彼らはがんになって、本当の自分に出会えたのでしょう。 そしてそのことに対して感謝の気持ちが芽生えたのでしょう。その結果、がんが軽快していったのかもしれません。 決して代替医療自体に効果があったわけではないと思います。
  先述した彼女もそうだったのでしょう。 お母さんへ本当のありがとう、が言えたので、痛みが消えたのかもしれません。
  こころがからだに与える作用は僕たちが思っているより、とても大きいのかもしれないですね。

  <今日の一曲>
  The Pale Fountains のJust A Girlという曲をアップします。
  この曲を聴くと僕の大学時代(京都)の青臭い思い出が思い出されます。 今日、京都へ行ったのでふとこの曲のことも思い出しました。 今もレコード棚の奥に大切に保管しています。 数々の思い出とともに。
  The Pale Fountains - Just A Girl


 第22回(平成24年9月18日)

  今月は学会、講習会など忙しく、すみませんが文章を考えられませんでした。
  お勧めの曲だけアップします。

  <今日の一曲>
  my sweet little eyes - しばたはつみ

  この曲の存在は昔から知っていて、シングルレコードをネットで見つけた時はうれしかったな。
  Japanese Free Soulの最高峰です。 ある程度の年輩の方なら、メロディーはご存知でしょうね。 聞いてみて驚いてください。


 第21回(平成24年8月15日)

  【雲ノ平で考えたこと】
 
  お盆も過ぎ雨も多く降りましたが、暑さはまだまだ続きそうな今日この頃、皆さん元気にお過ごしでしょうか。
  遅くなりましたが、7月21日の奈良県サイコオンコロジー研究会第1回記念講演会には大勢の人たちが参加いただき、ありがとうございました。
  大西先生のお話はいかがだったでしょうか。  わかりやすく、面白い内容だったと思いました。  奈良県の緩和医療、とりわけがんのこころのケアの必要性をもっと多くの人たちに広めていこうと、気持ちを強く持ちました。これからもよろしくお願いします。
  さて、8月はじめに夏休みをいただき、毎年登っている北アルプスに登ってきました。今回は天気にも恵まれ、山での生活を満喫できました。最高のリフレッシュになりました。
  今回は雲ノ平というところに行く機会がありました。  鷲羽岳、水晶岳、黒部五郎岳といった日本100名山の名峰に囲まれた高原なのですが、ここが素晴らしいのです。  北アルプスの最奥地の秘境といわれており、日本でありながら日本離れしたところです。  まるでヨーロッパのアルプスにでもいるかのような、とうてい口では言えないような感動を味わえる場所です。
  そこで丸1日ゆっくりとした時間を持つことができました。高山植物のお花畑があたり一面に広がり、ハイマツの木々が輝き、鳥たちはさえずり、周りには残雪を残した北アルプスの山々が360度のパノラマで存在する。あー、ここでずーと居たい、帰りたくない、と本気で思いました。
 そんな場所に雲ノ平山荘が建っています。伊藤正一さんという方が登山者の安全を守るため、そして雲ノ平をはじめとした北アルプスの自然を守るため、戦後、三俣山荘、水晶小屋とともに建てられました。  高齢になられたため、その意思は息子さんたちに受け継がれています。
  雲ノ平山荘は二男の伊藤次郎さんが経営されています。  そして今年、雲ノ平山荘は新築されました。  今回訪れましたが、素晴らしい山荘になっていました。  その山荘で次郎さんとお話をする機会を得られました。
  彼は若いころ、世界をめぐり、各国の自然保護の状況を見てきたそうです。  欧米をはじめとする多くの国では、政府が自ら主体となり自然保護を積極的に行っていたそうです。  しかし、日本は消極的であり(環境庁は一番力のない省庁だそうです)、むしろ破壊を積極的に行ってきた、父をはじめとして日本の自然保護運動を担ってきた人たちは、援助のない中ほとんど独自で切り拓いてきた、と話されました。
  その話を聞きながら、伊藤さんたちの辿られた苦難の道を思うと同時にまた、日本はなんと自然に恵まれた国なのだろう、と感じました。
  欧米をはじめとした世界の多くの地域は、放っておくとすぐやせた土地になり、場合によると砂漠化してしまうのです。  人間が生きていくために、自然を保護する必要があったのです。
  しかし日本では、いくら大地を破壊し、奪ったとしても、それ以上の有り余る豊潤な自然が存在しているのです。
  今、私たちに足りないのは、私たちを生かしてくれているこれら自然に対しての'感謝の気持ち'ではないでしょうか。  そして、自然にあふれた日本という国土を愛するというこころではないでしょうか。
  昔より、人々の心が荒み、世が争乱の時代になった時、大きな災害が起こっています。  昨年の大災害も日本の大地の怒りが起こしたのかもしれません。
  「美しい国、日本」を愛することから、本当の自然保護は生まれてくるのではないでしょうか。

 <今日の一曲>
  フィリピンのアーティストBong Peneraによるボサノバです。
  'Samba For Luisa'
  清々しい涼風のような音楽をお聞きください。


 第20回(平成24年7月13日)

  【山に一人で登ること】
  7月になり、大雨の日が続いています。梅雨明けが待ち遠しいですね。  梅雨が明けると夏本番。私は毎年、夏休みには必ず北アルプスに登っています。 北アルプスの三俣蓮華岳の麓にある三俣山荘に行くためです。 ここでは毎年、岡山大学医学部、香川大学医学部の有志によってボランティアで診療活動をしています。 その活動に参加するためです。今年も来月に行ってきます。
  先週から日曜夜のTBSドラマ サマーレスキュー が始まりました。  これは実はこの診療所「三俣診療班」がモデルになったドラマなんです。 第1話をみましたが、小屋や診療所の内部などが忠実に再現されていて、感激しました。 これからの展開が楽しみです。 皆さんも是非みてください。
  さて、僕は最近暇をみつけては奈良の山々に登っています。 そして、一人で登っています。 以前は、家族や仲間と一緒に登ることがほとんどだったのですが、最近はほとんど一人です。
  一人で登るって、寂しいんじゃないの、と思いますか? 思いますよね。 一緒に登ってくれる人がいない悲しい人だよね、とか。 僕も以前は一人で登っている人を見て、そう思っていました。
  しかし一人で登りだして、そうではないことに気付きました。 一人で登ってみて感じたことは、山って寂しくない、とても賑やかなんだ、ということです。 特に夏山はそうです。
  様々な虫の鳴き声が聞こえます。 鳥たちのさえずりが聞こえてきます。 風の音、木々のそよめき、沢の音、雨、雷。色々な音たちがユニゾンで耳に届いてきます。
  歩き始めてそれらに慣れてくる頃、自分の荒い息づかいのみが耳に聞こえてくる時があります。 体の疲れを感じている時です。 そしてそれにも慣れた頃、ふと無音になる時があります。 するとなぜか周りに何者か大勢の気配を感じるんです。 はじめは何だろう、と思っていました。 それを何回か体験すると、それは山の精霊たちではないか、と思えるようになりました。 今ではとても好意的な感じを受けています。
 そして、最近では「何か大いなるもの」の存在も山に入ると感じる時もあります。 それはおそらく山の神々でしょう。 間違いなく山にはたくさんの神々がいます。 そして彼らは僕たちを守ってくれています。 特に奈良県の南部の山々(大峰山脈、大台山脈)の神々はそうであると感じます。 古く大和の時代から、当時の日本人たちを守ってくれていたに違いありません。
  去年の台風でこれらの山々には多くの被害が生じました。 でも、奈良県の平野部には全く被害は起きませんでした。 僕たちを守ってくれたんだと思います。 本当に感謝しないといけないと思います。
  一人で山に登っていて、最近感じることでした。

 <今日の一曲>
  スエーデンのピアニストLars Janssonの名曲です。
  More Human - Lars Jansson Trio
 

 第19回(平成24年6月12日)

  【サッカー日本代表戦を見ていて思ったこと】

  6月になり梅雨に入りましたが、ヨーロッパではユーロ2012が始まり、サッカーファンにとっては熱い(そして睡眠不足の)日々が始まりました。
  そして、我が日本代表のワールドカップアジア最終予選も始まり、予選3試合が終わりました。
  結果は2勝1引き分け。まさに堂々たる試合、王者にふさわしい試合をしてくれたと思います。
  これらを見ていて感じたことは、本当に日本代表は強いチームになったな、ということです。
  振り返れば、私がサッカーと初めて触れたのは、1968年メキシコオリンピックで釜本選手たちの活躍により銅メダルを取った時でした。 しかし、その後日本サッカーは低迷期に入ります。ワールドカップで、ヨーロッパや南米の選手たちの活躍に胸を踊らせましたが、あくまでテレビの中の出来事、空の上の人たちを見ているようでした。 日本ではアマチュアの選手たちが、ほとんど客のいないスタジアムで、細々とプレーを続けていました。
  しかし、1990年Jリーグが誕生し、プロサッカー選手が日本でも生まれてから、状況は変わっていきました。 1993年のドーハの悲劇を経て、1998年フランスワールドカップに初出場して以来、その後のすべてのワールドカップに出場しています。
  そして、今年香川真司選手が、イングランドプレミアリーグ最高峰のチーム、マンチェスター・ユナイティッドに移籍が決まりました。 6億円プレーヤーの誕生です。
  私が子供のころには、日本人が世界で活躍することができるとは夢にも思えませんでした。 しかし、今の日本代表選手の7〜8割がヨーロッパで活躍しているのです。それもレギュラーポジションを獲得している選手がほとんどです。
  何故、このようなことが可能になったのでしょうか。もちろん個々の選手たちの才能、努力によるものは大きいと思います。しかしなにより、「自分たちは世界で通用する選手になるんだ。」という強い思いなのではないでしょうか。
  以前、Jリーグを作った方のインタビューをテレビで見たことがあります。 彼はJリーグを作った目的を「日本に世界に通用する強いチームを作りたい。 そして、日本に、ヨーロパや南米のような、サッカーを愛する文化を根付かせたい。 それがJリーグを作ろうとした気持ちです。」と言われていました。 日本サッカーに対して強く、熱い思いを語っていました。
  かつて1960年当時、アメリカ大統領であったケネディーは10年以内にアメリカ人は月面に立つ、と宣言し、アポロ計画を開始しました。 そして1969年にそれを実現しました。
言葉の力、思いの力が、不可能と思われたものを可能にしたのです。今、日本サッカー界は、夢にも思わなかったこと、不可能と誰もが思ったことに挑戦しています。
  今や日本の大黒柱となった本田選手は、「ワールドカップにはただ出場するためだけではなく、優勝するために行くんだ。」と言っています。
  日本がワールドカップで優勝する。 今の日本チームは可能であると思います。
  人々の思いが様々なものを発見し、発明させたのではないでしょうか。 その結果、文明の発展があったのではないでしょうか。
  「空を飛びたい」という思いが、飛行機を作らせたのではないでしょうか。 「夜でも明るく暮したい」という思いが電灯を作らせたのではないでしょうか。
  まず、思いありき、です。
  皆さんも自分の人生で、不可能を可能にさせるチャレンジをしてみませんか。わが愛する日本代表のように。
  これからも日本代表の応援よろしくお願いします。 ロンドンオリンピックでは、男女とも出場します。2組とも金メダルがとれるよう、そして2年後のブラジルワールドカップで日本が見事優勝できるという想いをみんなで共有しましょう。
 
 <今日の一曲>

  Catch up UというグループのSister Janeという曲です。
  Max Greger Jrというドイツのピアニストの作品です。 雨でじめじめした気分をスカッとさせてくれる名曲だと思います。ご堪能あれ。

  Sister Jane by Catch Up U


 第18回(平成24年5月12日)

  こんにちは  5月になっても何かおかしな天気が続きますが、みなさんお元気ですか。
  Dr.Toshです。
  ゴールデンウイークも山に登りました。大峰山脈の最高峰に登ってきました。
  大荒れの日の次は、快晴でした。しかし、山はほんとにいいですね。
  

  さて、本日(5月11日)NHK奈良支局の取材がありました。
  今度、緩和ケアについて奈良県での取り組みについて放送する予定があるそうで、その予備的な取材でした。
  いろいろ宣伝も含めて話しましたので、放送されて、県民に対する啓蒙の一端となれたら嬉しいと思いました。


  以前、日野原先生の「医師の原点」について載せましたが、今回は自分のことを書いてみたいと思います。

  〈忘れられない患者さん〉

  医者になってすぐ、大学病院で研修となりました。
  そこで、卵巣がんの患者さんと仲良くなりました。郷里が一緒だったのです。
  今までいろいろな抗がん剤を使ってきたけれど治癒までには至らなかったので、大学で治験中の新しい抗がん治療をするために来られた方でした。
  彼女の治療が始まりしばらくして、僕は新しい研修先に赴任していきました。
  内科研修の忙しい日々が半年ほど経った頃、彼女が訪ねてきました。赴任先は彼女の家の近くだったのです。
  「先生、おかげでがんが全部消えたわ。ありがとう。」満面の笑顔で彼女は言いました。
  抗がん剤が劇的に効いたのでした。
  「よかった。」と本当にうれしく思いました。
  しかし、1ヶ月後彼女は僕の外来に受診されました。今度は僕の患者として。
前日、大学病院の上司から電話があったのです。
  「斉藤さんのことだがな。再発したんじゃ。もう治療はできん。彼女がお前にみてもらいたいと言っている。悪いが、最後まで面倒みてくれんか。」
  翌日彼女は入院し、僕が主治医として治療を始めました。
  しかし、がんは猛烈なスピードで進行しました。入院前から腹水はあったのですが、日に日に増悪し、とうとう腸閉塞も起こしました。
  毎日多量の栄養剤を点滴し、毎日腹水を抜きました。
  痛みと苦痛で彼女は毎日泣きましたが、どうすることもできません。ただ、彼女のそばに座り、手を握り時間を過ごしました。医者としては全く未熟でしたし、なによりも当時は緩和ケアという概念さえもない時代でした。
  そのうち、胸水もたまってき、呼吸困難の症状も出現しました。しかしその都度、胸水を抜くことしかできませんでした。
  徐々に彼女は衰弱し、息も絶え絶えとなってきて命もいよいよという時期になったある夜のことです。僕はいつものように彼女の部屋を尋ねました。なんと彼女は正座をして僕を待っていたのです。少し前までは起き上がってトイレに行くことさえもできない状態だった彼女が、座っているなんて!
  しかも、彼女は微笑みながら僕に話しかけたのです。「先生、今まで本当にありがとう。先生が私の主治医になってくれてありがとう。私が死んだら解剖してくれていいわ。それが先生のためになるのなら。」
  僕は驚き、うろたえました。彼女に解剖の話なんかしてない、ご主人には昨日話したけど、そうかご主人が話したのか、それにしてもなんで座れてるんだ、最期のお別れの言葉か?
  そして「斉藤さん、座っててしんどくないんですか。休まないといけません。あきらめてはいけませんよ。」と、わけのわからないことを話したような覚えがあります。
  それから2日後、彼女は本当に旅立って行きました。解剖もさせてもらいました。
  その時は不思議に感じていましたが、何百人と旅立ちを看取ってきた今の自分には何故彼女があんなことを話したのがわかります。
  人は自分の死期を感じ取れるのです。亡くなる数日前に元気になる方も多いのです。彼女も自分の死期を悟り、そして本当に言いたいことを僕に話したんだと思います。
  今の自分なら緩和ケアのスキルを使って、もっと彼女を楽にすることはできたと思います。しかし今思っても、あの時は、あの時できる精いっぱいのことを、一生懸命彼女のためにしたのだといえます。そして、彼女はそのことに対して、本当の感謝の気持ちを表してくれたのだと思います。
  今でも彼女のことを思うと胸が熱くなります。それから一生懸命彼女のために頑張った若い自分も。
  今自分ができることを一生懸命にすること、これが僕の「医師の原点」です。


 <今日の一曲>

  中学の頃、カーペンターズが好きでした。欧米のポップスで初めて好きになったグループでした。その後、ビートルズ、ハードロック、パンクロック、さらにジャズなどの洗礼を受け、カーペンターズなど忘れかけていた20歳代後半、突然カーペンターズが好んで使っていた作曲家と出会いました。それが、Rodger Nicohlsです。彼が唯一自分で作ったアルバム「Roger Nichols & The Small Circle Of Friends」は今でも僕のヘビーローテーションです。その中で、いつ聴いても感動する1曲を聴いてください。

   The Drifter
   by Roger Nichols & The Small Circle of Friends

  これも聴いてください。ほのぼのします。
   The Drifter
   by Pisano & Ruff


 第17回(平成24年4月9日)

  こんにちは。Dr.Toshです。
  4月になりました。
  桜が満開ですね。

  当科にもまた、一人ドクターが来てくれました。
  仲間が増えるということは嬉しいことですね。

  先日のバーベキュ−パーティーはたくさんの方が来ていただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。
  参加された皆さん、ありがとうございます。
  役員の方々は、事前の準備やセッティングなど大変だったろうと思います。
  お疲れ様でした。
  これからも多くの方々と交流を持ちたいです。よろしくお願いします。
 
  さて今回は、最近緩和ケア病棟でみさせていただいた患者さんのことを書こうと思います。

  60歳代の甲状腺がん、肺転移、肝転移、骨転移のある女性の方です。
  10数年前、甲状腺がんの手術をして経過していたのですが、術後8年目で再発。 化学療法、放射線療法などで頑張ってこられましたが、効果よりも副作用の方が強くなり、1か月前治療を止め、当科に入院されてこられました。
  入院時、彼女は 「この1カ月はほとんど食事も取れず、痛みもあり寝たきりだった。 ここで元気になり、歩く練習をして帰りたい、またできるものなら治療もしたい。」 と希望を話されました。
  しかし、既にがんは腰椎にも転移しており、今後進行すると下半身麻痺になる可能性が強かったのでその可能性も話した上、希望をかなえられるようにこちらも頑張ります、と伝えました。
  1週間後、痛みは全くなくなり、食欲も出てきました。 「リハビリも頑張っている。」 と笑顔で答えられました。
  ところが、2週間経っても、3週間たっても歩けるようになりません。むしろ足に力が入らなくなり、とうとう寝たきりになりました。 腰椎転移が進行し、下半身麻痺が起こってしまったのです。

  ある日、病室に伺うと、彼女はとても暗い顔をして 「ここに来てどんどん悪くなる。本当に歩けるようになるの?治療してくれてるの!」といきなり訴えました。
  「○○さん、残念ながら入院した時言ったと思うけど、歩けなくなったのは腰椎のがんが運動神経を圧迫しているからなんです。これからも自分で歩くことは難しいと思う。」と説明しました。
  「・・・・・・」彼女は、無言で答えました。

  それから、彼女は何事に対しても否定的になりました。
  僕が回診に行ってもほとんど口を閉ざしたまま。
  毎日面会に来られるご主人には、常に大声でどなり散らします。
  看護師たちに対しても、一方的に看護に対する注文が多くなりました。
  ある日部屋に伺うと、 「先生は体臭が強いからいや。若い先生を主治医にして。」 と言われることもありました。
  ご主人も耐えきれなくなり、 「もともとあんな奴じゃなかったんです。怒ることもほとんどなくて、子供たちにも優しくて。前の主治医が5年以上経ったので再発はまずないでしょう、これからは2年おきのフォローで行きましょう、と言われて2年後に再発した時も、文句も言わず治療始めたんですよ。つらいです。一回でいいから、ここに来てよかったと言ってほしい。」 と泣かれました。
  「奥さんは病気が進行している事実を受け入れられず、そのつらさを周りに当たるという方法で発散しているんだと思います。ご主人もつらいと思いますが、受け入れられるようになるまで待ちましょう。」と返しました。

  徐々に病状は進行していきました。 しかし、彼女の態度は変わりませんでした。 ご主人の面談も継続して行いました。
  しゃべるのもやっとという状態になったある日、彼女は 「やっぱりここに来なければよかった。」 と僕に話しました。
  それが最後の言葉となりました。 彼女は翌日亡くなりました。
  ご主人は 「最期まで『ありがとう』の言葉は無かった。 それでも皆さん優しく接してくれました。 私はここに来てよかったと思います。」という言葉を残して帰られました。

  感謝の気持ちの表明は最後までありませんでした。
  皆さんは残念な結果だったと思われるでしょうか。
  僕はそうは思いません。 なぜなら僕たちは感謝を言ってもらうために仕事をしているわけではないからです。
  彼女は本当に悔しかったんだと思いますよ。 人生の最後の時間で、それまで言えなかった気持ちを我慢しないでありのまま表出し、そして旅立ったんだと思います。
  それに、何よりどのスタッフも文句ひとつ言わず、彼女を丸ごと支え続けてくれたことに僕は感動しました。 (スタッフルームでは悪口大会を何回もしましたが)
  僕たちのチームが、成熟したチームになりつつあることを実感させてもらった症例でした。

  <今日の一曲>

  しばたはつみさんの「ショウガール」という曲です。
  緩和ケアを始めたころ、良く聴いて励まされたことを思い出します。
  しばたさんは一昨年亡くなられました。
  しばたはつみさん、力づけてくれてありがとう。

  ショウガール by  しばたはつみ


 第16回(平成24年3月30日)

  こんにちは。Dr.Toshです。

  花粉症がつらい季節です。
  別れと出会いの時期ですね。
  またまた更新をさぼってしまいました。     
  4月からはできるだけ頑張ります。

  さて、最近の僕のマイブームは冬山登山でした。
  今年になって、高見山2回、三峰山2回、観音峰2回登りました。
  いずれも素晴らしい樹氷を見ることができました。
  奈良県の冬山の季節は終わりましたが、来年も行こうと思っています。
  皆さん一緒に行きませんか。

     

  

  <今日の一曲>

  Pierre Barouhのsaudadeという曲です。
  Saudadeとはポルトガル語で郷愁、惜しむ気持という意味です。
  「海が凪ぐ時はジュリアーナに会いに行く」
  ブラジルはバイーアの漁師たちに語り継がれてきた歌を、ピエール・バルーがバーデン・パウエルのギターとともに1962年に歌った曲です。
  何かわくわくするけれども切ないような、この季節にピッタリな曲と思います。

  Saudade by  Pierre Barouh

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 第15回(平成24年2月15日)

  こんにちは。 Dr. Toshです。
  インフルエンザが猛威をふるっています。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
  最近僕は冬山登山にこっていて、週末時間が取れれば奈良の雪山に登っています。
  まっ白い世界の中、黙々と歩いていると、日常の様々なストレスが取れていくのがはっきりと自覚されます。病みつきになります。
  皆さんもいかがですか。

  さて、今回は日野原重明先生の「医師の原点」についてシェアさせていただきます。

  医師としての原点を語る時、外せないのが、医局に入ったばかりの頃、最初に担当した 結核性腹膜炎の十六歳の少女です。

  彼女には父親がおらず、母親が女工として働いていました。
  家が貧しくて彼女自身も中学に行かず働いていたのですが、ある時、結核を患って入院してきたんです。
  その病室は八人部屋で、日曜になると皆の家族や友人が差し入れを持って見舞いにくる。

  でも彼女を訪ねてくる人はほとんどいない。
  母親は日曜も工場で働いていたから、見舞いにもなかなか来られなかったんです。
  私は日曜になると教会の朝の礼拝に出席するため、同僚に彼女のことを頼んでいました。

  ところがある時、その同僚から「日野原先生は、日曜日はいつも病院に来られないから寂しい」と彼女が言っていたと聞かされましてね。
  以来私は朝教会に行く前に、病室へ顔を出し、それから礼拝に出るようにしたんです。
  これはその後の私の医師としての習慣にもなりました。

  ところが当時は結核の治療法がなかったために、どんどん容態が悪くなっていってね。
  非常に心配していたんですが、ある朝様子を見に行くと、

  「先生、私は死ぬような気がします……」と言うんです。

  私は「午後にはお母さんが来られる予定だから、頑張りなさい」と言いました。

  すると彼女はしばらく目を閉じて、また目を開いて言葉を続けました。

  「お母さんはもう間に合わないと思いますから……、
  私がどんなにお母さんに感謝していたかを、日野原先生の口から伝えてください」。

  そうして手を合わせた彼女に、私は「バカなことを言うんじゃない。死ぬなんて考えないで!もうすぐお母さんが見えるから、しっかりしなさい」と言って、その言葉を否定したんです。

  ところが見る見るうちに顔が真っ青になっていったので、私は看護師を呼んで「強心剤を打って延命しよう」と言い、弱っている彼女に強心剤をジャンジャン打った。

  そして「頑張れっ、頑張れっ!」と大声で叫び続けた。

  彼女はまもなく茶褐色の胆汁を吐いて、二つ三つ大きく息をしてから無呼吸になりました。

  私は大急ぎで彼女の痩せた胸の上に聴診器を当てましたが、もう二度とその心音を捉えることはできませんでした。

  私は彼女の死体を前にして、どうしてあの時「安心して成仏しなさい。
  お母さんには、私があなたの気持ちをちゃんと伝えてあげるから」と言ってあげられなかったのだろう。
  強心剤を注射する代わりに、どうしてもっと彼女の手を握っていてあげなかったのか、
  と悔やまれてなりませんでした。

  私は静かに死んでいこうとする彼女に、最後の最後まで鞭を打ってしまったわけです。

  この時に、医師というのはただ患者さんの命を助けるだけじゃない。
  死にゆく人たちの心を支え、死を受け入れるための援助をしなければならないのだと思いました。

  その強い自責の念が、後にターミナルケア(終末の患者へのケア)や、ホスピスに大きな関心と努力を払い、人々が安心して天国や浄土に行くにはどうしたらよいかを考え、そういう施設をつくる行為へと繋がっていったんですね。

  いかがだったでしょうか。次回は私の「医師の原点」について書いてみようかな、と思います。


  <今日の一曲>

   かっこいいピアノトリオはいかがでしょうか。
  The Dudley Moore Trio - Amalgam

  


 第14回(平成24年1月15日)

  こんにちは。 Dr. Toshです。

  2012年も始まりました。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。

  年末年始、色々あり あわただしく過ごしておりまして、またまたブログの更新が延び延びとなってしまいました。 すみません。

  今年もよろしくお願いします。

  さて、皆さん。 サイコオンコロジー(Psycho-oncology)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
  日本語に直すとサイコ=精神、 オンコロジー=腫瘍学、 あわせて精神腫瘍学と言います。
  端的に言うと、緩和医療におけるこころのケアを担うのが精神腫瘍医です。 主に精神科医、心療内科医が担当します。 実は私の専門分野なのです。

  ところで、緩和ケアはがん治療においてどのあたりに位置するとお思いでしょうか。

  抗がん治療などの治療が終わったら緩和ケアとか、緩和ケアって終末期医療のことでしょう などと思われてはいないでしょうか。 最近行った全国レベルのアンケートで、緩和ケアが終末期の患者のみ対象とすると回答した人が30%、知らなかったと回答した人が20%であったそうです。

  がんと診断されてから、がん治療と並行して行うのが緩和ケアなのです。

  がん治療の目的ががんの治癒であることは言うまでもないですが、残念ながら全てのがんが治るわけではありません。進行がんや再発がんは治癒が難しいのが現状です。 従ってこれらのがんについては治癒を目指すのではなく、延命やQOL(生活の質)の向上が治療の目的になります。 また、緩和ケアの目的は、がんによる様々な症状の軽減を行うことでのQOLの向上です。 つまり、がん治療と緩和医療は目的が同じなのです。

  がんの治療において、抗がん治療と緩和ケアとは車の両輪のように常に同時に行うことが必要なのです。

  がん治療には様々な苦痛が伴います。 抗がん剤の副作用や、癌から生じる痛みなどの身体的苦痛はもとより、不安感や抑うつなどの精神的苦痛、就業や経済負担などの社会的問題など様々な苦痛が患者はもとより家族にも襲います。

  私たち精神腫瘍医は患者さん、さらには家族 (遺族のこころのケアもしています) も含め これらの苦痛をできるだけとり、皆さんを力づけ、勇気づける仕事をしています。

  精神腫瘍医は、がんを専門的に治療する地域のがん拠点病院の緩和ケアチーム一員として働いています。困った時はお気軽に相談してください。

  今回は私の仕事の紹介となりました。


  <今日の一曲>

  ある薬剤メーカーさんが、サイコオンコロジーのイメージビデオを作ってくれました。
  私はいつみてもジーンとしてしまいます。 視聴してください。

 「がんとともに生きる」 (「てろてろ」矢野絢子)

追記: 私の属しているサイコオンコロジー学会の会長である大西先生がテレビ出演されます。Eテレ(以前の教育テレビ)で1月21日(土)午後8時から9時「ここが聞きたい!名医にQ」です。 興味のある方はぜひ見てください。 大西先生は「がんの遺族ケア」を専門にしておられ、今年奈良で講演していただく予定にしています。


 第13回(平成23年12月12日)

  こんにちは。 Dr.Toshです。
  今日は短いです。本当にあったお話です。  あるホスピスで
  死期の迫った患者の家族へ主治医が説明しました。
  主治医 「厳しい状況になってきました。」
  家族 「あとどのくらいもちますでしょうか。」
  主治医 「うーん・・・・・・」
  家族 「そうですよね。 わからないですよね。 神のみぞ知るでしょうか。」
  主治医 「・・・カニの味噌汁ですか。 お父さんお好きなんですか。 欲しいなら食べさせてあげてください。」
  少し間をおいて、主治医以外一同大爆笑。

  皆さん 言うまでもないと思いますが、主治医は私です。
  声に出して言っていただくと面白みがわかります。


  <今日の一曲>
  皆さん良くごぞんじの曲です。

  Somebody Stole My Gal - Pee Wee Hunt



 第12回(平成23年11月23日)


  こんにちは。 Dr.Toshです。
  ようやく寒くなってきました。 またまた、遅れ気味ですが、ブログ更新します。

  先日緩和医療の大先輩の講演を聞いてきました。 非常に感銘を受けたのですが、その中で一番こころに残ったことが今回の震災のことについてでした。

  ある外国の方がこのように言われたそうです。
  
  「今回の震災で被災地の方たちは多くのものを失いました。
   しかし失われなかったものもあります。
   震災で失われなかったもの、それは『Very Strong Sense of Dignity』です。」

  日本語で言うと、「高い精神性を伴った自尊心」とでも訳すのでしょうか。

  どんな絶望的な状況に陥っても、自分を失わず他人を助け協力し合っていく、そして希望を信じ前に向いて歩んで行ける崇高な精神性をもった国民であると評価されたのでしょう。

  私たち日本人はもっと自信をもっていいはずです。

  さて、私はサッカーが若いころから大好きで、今でも世界のサッカーの試合や、日本代表の試合は可能な限り見ています。

  最近、前述した「自尊心」について興味深いサッカーの試合を見たので、コメントしたいと思います。

  来年のブラジルで行われるサッカーワールドカップ出場に向けて、アジア代表をかけ、日本代表は現在3次予選を戦っています。 日本と、北朝鮮、ウズベキスタン、タジキスタンの4チームがトーナメントで戦い、上位2チームが最終予選に進めることになっています。 現時点で既に日本は1位(2位の可能性もありますが)で進出を決めています。
 
  素晴らしいと思ったのは、タジキスタン代表です。 彼らは当初3次予選に出場はできませんでした。 出場予定であったチームがルール違反で失格となったため、急きょ繰り上がりとなりました。 彼らはFIFAランキング(世界の代表チームのランク付け)でも130位台のチームで、27位の日本とは大きな実力差があります。   実際、日本で行われた試合では8−0、タジキスタンでは4−0と大差で敗れました。
  しかし、彼らはフェアプレーをしました。 ほとんど汚い反則はせず、イエローカード(悪質な反則に対して審判が警告する札)もほとんど出されませんでした。 どんなに負けていても、最後まで自分達の力を出し切ってプレーをし、本当に清々しい気持ちにさせてもらいました。
 
  タジキスタン代表監督が自分達のホームでの試合前に語った言葉にこころが熱くなりました。

  「日本に勝てるとは思わない。
   誠実に負けることも才能の一つだ。」

  テレビでタジキスタンのことを紹介していました。 タジキスタンは中央アジアの小さな国で、ソ連から独立はしましたが、産業も発達しておらず、まだまだ経済的には貧しい国です。 しかし、彼らは自分達の国を誇りに思っており、町の真ん中に巨大なタワーを建てそれに国旗を飾っています。 代表選手たちも自分達は国の代表であることに誇りと責任を感じています。 それゆえ、どんなに実力ではかなわなくても、卑怯で恥ずかしいプレーだけはせずに、正々堂々と試合をしたのだろうと思いました。
  日本にサッカーの実力では劣るが、気持ちでは、精神性では負けていない、といった意思表明であったと感じました。

  一方対照的だったのは、北朝鮮本国で行った、日本対北朝鮮戦です。 結果は1−0で北朝鮮が日本に勝ちました。 試合前の時点ですでに日本は最終予選進出を決めていたのでレギュラー組が出場しなかったこともあるのですが、試合場の異様な雰囲気に呑まれてしまったことも敗因だったと思います。

  日本のサポーターは100人弱、それ以外は全て北朝鮮のサポーター何万人もの中でプレーするのです。 さらには、日本のサポーターが応援することは禁止されていました。 試合開始前の日本の国家斉唱もサポーターのブーイングで全く聞こえませんでした。 以前そこで試合をして勝ったイランチームのプレーヤーが乗ったバスが、北朝鮮サポーターに囲まれて何時間も動けなかったこともあったそうです。平常心でプレーすることは難しかったでしょう。
  更に驚いたのは、この試合はテレビで放映する予定はなかったということです。 今回勝ったので、急遽録画をテレビ放映したそうです。 勝ったから放映したのです。負けると放映はしなかったでしょう。
  何が何でも日本に勝つことが、目的だったのでしょうか。 そのためには手段を選ばない、ということかと感じました。
  タジキスタンとは真逆と思いました。 北朝鮮の選手たちは頑張ったと思いますよ。選手たちを非難しているのではありません。 勝つためには手段を選ばないという北朝鮮の考え方が美しくない、と思ったのです。 もっとはっきり言うと、みにくいと思いました。

  スポーツを見て我々が感動するのは、勝負の結果ではなく、選手たちが勝つために頑張っている姿なのではないでしょうか。 もちろん、勝つことも大事です。  女子サッカーの澤選手もワールドカップで優勝したから、自分達が注目されるようになった、と言っています。 しかし、勝つにしても正々堂々と勝つ、ことが大事だと思います。
  タジキスタンは試合には負けましたが、人間にとって一番大事な尊厳を守りました。 一方、北朝鮮は試合に勝って、自分の尊厳を失ったと思いました。


  <今日の一曲>
  Whitney HoustonのThe Greatest Love of Allです。

  Greatest love of all〜 全ての中で最も尊い愛 という歌です。
  最も尊い愛とは自分の中にある尊厳(自尊心)を大事にすること、という歌と解釈しています。

  I believe the children are our are future
  Teach them well and let them lead the way
  Show them all the beauty they possess inside
  Give them a sense of pride to make it easier
  Let the children's laughter remind us how we used to be
  Everybody searching for a hero
  People need someone to look up to
  I never found anyone to fulfill my needs
  A lonely place to be
  So I learned to depend on me

    [Chorus:]
  
  I decided long ago, never to walk in anyone's shadows
  If I fail, if I succeed
  At least I live as I believe
  No matter what they take from me
  They can't take away my dignity
  Because the greatest love of all

  Is happening to me
  I found the greatest love of all
  Inside of me
  The greatest love of all
  Is easy to achieve
  Learning to love yourself
  It is the greatest love of all

  I believe the children are our future
  Teach them well and let them lead the way
  Show them all the beauty they possess inside
  Give them a sense of pride to make it easier
  Let the children's laughter remind us how we used to be

    [Chorus]

  And if by chance, that special place
  That you've been dreaming of
  Leads you to a lonely place
  Find your strength in love


  子供たちは私たちの未来
  良く教え道理へ導かせよう
  人の内面に有する全ての美徳を示し
  物事を容易にする自尊心を与えよう
  子供たちの笑い声が私たちがしてきたやり方を思い出させてくれる
  誰もが英雄を求めている
  人々は尊敬する人を必要としている
  しかし私の望みを満たす人を私は見つけることができなかった
  孤独な場所で 私は自分自身に頼ることを学んだ

  私はきめた 他人の後ろを歩まないことを
  失敗しようが、成功しようが
  少なくとも私は自分が信じる道を生きていく
  他人が私から何を奪い去っても
  私自身の尊厳までは持ち去ることはできない

  なぜなら全ての中で最も尊い愛が私の中で起こったから
  自分の中に全ての中で最も尊い愛を見つけた
  最も尊い愛を得ることは実はたやすいこと
  自分自身を愛することを学ぶこと
  それが全ての中で最も尊い愛だから

  子供たちは私たちの未来
  良く教え道理へ導かせよう
  人の内面に有する全ての美徳を示し
  物事を容易にする自尊心を与えよう
  子供たちの笑い声が私たちがしてきたやり方を思い出させてくれる

  私はきめた 他人の後ろを歩まないことを
  失敗しようが、成功しようが
  少なくとも私は自分が信じる道を生きていく
  他人が私から何を奪い去っても
  私自身の尊厳までは持ち去ることはできない

  なぜなら全ての中で最も尊い愛が私の中で起こったから
  自分の中に全ての中で最も尊い愛を見つけた
  最も尊い愛を得ることは実はたやすいこと
  自分自身を愛することを学ぶこと
  それが全ての中で最も尊い愛だから

  もしあなたが夢見ていた特別な場所が
  あなたには孤独な場所になったとしても
  自分自身を信頼できれば本当の自信が得られるでしょう。
 
  最後まで読んでいただいてありがとうございました。


 第11回(平成23年11月1日)

  11月になりました。
  9月、10月は講演会や、研修会が目白押しで、休日もあちこち行っていました。  ゆっくりとした時間はあまり取れなかったのですが、仕事ですから仕方ありませんね。
  9月15日、16日飛鳥ホールで医師のための緩和ケア講習会を開催しました。
  そこで、チャプレンの沼野先生にスピリチャルケアについての講演をしていただきました。
  その中で印象的だったお話を載せたいと思います。

   ディズニーランドで実際にあったお話です。
  ディズニーランドは9割の職員がアルバイトだそうです。しかし、徹底したマニュアル教育でしっかり管理されているそうです。最近ビジネス本でたくさん見かけますので知っておられる方も多いと思います。

  マニュアルはとても大事です。
  でもマニュアルを超えた部分に真のサービスがある、それがスピリチャルケア(こころのケア)だと思わせていただきました。
  こんなお話です。

  ある日、ディズニーランドの中のレストランに中年の夫婦が入ってきました。
  アルバイト君が対応します。
  「何になさいますか?」

  ご主人の方が言われました。
  「・・・お子様ランチを。」

  アルバイト君は戸惑ってしまいました。ディズニーランドではお子様ランチは子供しか出せない決まりになっているのです。
  「すみません、お子様ランチは大人には出せないんです。」

  「・・・そうですか。・・・実は私たちの子供が1年前に亡くなってしまったのです。その子はディズニーランドが大好きで、ディズニーランドでお子様ランチを食べることをとても願っていました。でもそれが果たせないまま亡くなってしまって。私たちは長い間悩んでいました。でも決めたんです。子供に代わってここでお子様ランチを食べようって。でも、そうですよね。無理ですよね。わかりました。」と言って二人は帰ろうとしました。
  
  その時、「ちょっと待ってください。」と言って、アルバイト君は奥に走って行きました。
  しばらくして、彼が戻ってきました。
  「こちらに来てください。どうぞ。」
  二人は奥に案内されました。
  店長が謝ってくれるのかな、ディズニーランドだからそれぐらいのことはしてくれるのかな、と思ってついて行きました。

  すると、奥に席が用意されていたのです。
  「どうぞ、お座りください。」アルバイト君は二人に話しかけました。

  そして、しばらくしてお子様ランチが3人分運ばれてきました。

  「今日は皆さまのためにシェフが腕をふるいました。どうぞ3人でごゆっくりお召し上がりください。」

  <今日の一曲>
  星に願いを

  虹の彼方に


 第10回(平成23年10月26日)

   お元気ですか。
  すっかりご無沙汰でした。
  秋になって、ほとんど休日なしの忙しさだったこともありますが、難しく考えていたのかな。
  なんかブログが書けませんでした。
  少し気楽になろうかな、と思っています。
  ホスピス以外のことも気楽に書きたいと思っています。
  復活のDr.Toshに、こうご期待。

  <今日の一曲>
  Michel Legrand / My Baby

  現時点では自分にとっての最高の曲です。
  しかし、未CD化でオリジナルも高価でまだ手に入れていません。
  聴いてください。


 第9回(平成23年8月28日)

   こんにちは
  Dr.Toshです。
  ブログも夏休みをしてしまいました。すみません。
  夏休みも終わりに近づきましたので、復活させようと思います。

  先日、盲目の少女がキリマンジャロに登頂する番組をテレビで見ました。
  私も山登りをするので、高山を登る大変さは体験しており、よく頑張ったな、と思います。
  感動ももらいました。
  しかし、彼女は耳は聞こえるのです。

  「盲ろう者」という人たちを御存知でしょうか。文字通り、目も見えず、耳も聞こえない人たちです。全国で約2万人もいるそうです。
  僕は恥ずかしながら、彼らのことはほとんど知りませんでした。国が彼らをちゃんとした障害者として認定してないために、いままでその存在が十分認識されていなかったそうです。
  しかし、今では社会参加を果たしている方も多くおられ、東大の教授になった人もいるそうです。ただ、彼らの多くは中途障害で、生まれながらに盲ろう者である人たちは少数だそうです。
  その少数の生まれながらの盲ろう者である青年が、全国で初めて大学に入学したというテレビ番組を見ました。
  生まれながらに目が見えず、耳が聞こえないという世界とはどんな世界でしょうか。僕には想像すらできません。
  テレビは、彼が赤ちゃんのころの映像から始まります。彼がいかに外界を認識し、コミュニケートし、さらに抽象概念を獲得するかについて、語っていました。そして、ついに念願の大学合格を得られます。
  彼自身の努力は大変なものだったでしょう。称賛に値します。しかしそれ以上に周りのサポートが素晴らしかったと思います。親御さん、先生達、そしてボランティアの人たちの愛と知恵、熱意がなければ成し遂げられなかったでしょう。
これからの彼の人生はもっと大変かもしれませんが、それ以上に実りのある充実したものになると確信しました。
  この番組を見ながら、僕は、彼らのような障害者が、障害者ゆえにより多くの成長ができる社会に日本はなっていることに気付きました。日本は成熟社会に向かっているのです。
  震災が起き、私たち日本人は自信を失いかけているかもしれません。しかし、私たちはひとを思いやる優しさと、決してあきらめない強さをもった民族です。未来を信じ、世界の冠たる日本を取り戻しましょう。

  盲ろう者の先駆者で、天使のような女性の詩をおくります。

              ヘレン・ケラー
  私は信じます。
  私たちは主の教えに従うことにより、この世を生きられるのです。
  そして、主の『汝の隣人を愛せよ』という言葉に従えば、この上ない幸福が世に訪れるのです。

  私は信じます。
  人と人との間に起こる問題はすべて宗教的問題です。
  そして人間社会におこる誤ちはすべて道徳的誤ちです。

  私は信じます。
  私たちは神の御心を成し遂げることにより、この世に生きられるのです。
天国において神の御心が成し遂げられるように、地上においてもそれが成し遂げられた時、だれもかれもが人間を自分たちの同胞として愛するようになり、自分たちにして欲しいと思うことを、人に対しても行うようになります。
  お互いの幸福はすべての人の幸福と密接につながっているのです。

  私は信じます。
  人生は、私たちが愛を通して成長するためにあるのです。
  そして、太陽が花の美しい色彩と香りの中に存在するように神が私の中に存在するのです
  神は私の暗黒を照らす光であり、私の沈黙に呼び掛ける声なのです。

  私は信じます。
  『真理の太陽』はかすかな光として、人の上に輝いては消えるのです。
  愛は最後には神の王国を地上に実現するのです。
  その王国の礎石 は、自由・真実・兄弟愛と、奉仕です。

  私は信じます。
  善は決して失われません。
  善を求め、望み、夢見たすべての人間は、永遠に存在するでしょう。

  私は魂の不滅を信じます。
  それは私の内部に不滅へのあこがれがあるからです。
  私たちが死んだあとに訪れる国は、私たち自身の動機、考え、行いから作り出されるものに違いありません。

  私は信じます。
  あの世では私がこの世で持っていない感覚が得られるのです。
  そしてあの世で私の住む家には、私の愛する花々や人々の織りなす、美しい色彩、音楽、言葉が満ちています。
  こうした信念がなければ、目も見えず、耳も聞こえず言葉も語れない私の人生は、ほとんど無意味でしょう。
  私は「暗黒の中に立つ暗黒の柱」にすぎなくなるでしょう。
  肉体的感覚を十分に満喫している方々は、私を憐れだと思います。
  だがそれは、私が喜びとともに住んでいる私の人生の黄金の部屋が、その方々には見えないからです。
  私の行く手はこうした人々には暗黒に見えるのでしょうが、私は心の中に魔法の明かりを持っています。

  私の信念が精神的な探照灯となって、私の行手をあかあかと照らしてくれます。
  そしてたとえ影の中に不吉な疑いが潜んでいようとも、私は恐れることなく「魅惑の森」へと入っていきます。
  そこには木々の葉はいつまでも青く、喜びが常にあり、うぐいすは巣を作って歌っています。
  神の存在の前では 生も死も同一なのです。


<今日の一曲>
文章とやや違和感のある選曲と思います。
「I miss you」という曲です。
あなたがいなくて淋しい、という意味です。
でも、ヘレン・ケラーが言っているように、魂は不滅かもしれません。
皆さんの大事な方々も、あちらの世界で楽しく暮らしておられるでしょう。

Noriko Kose - I Miss You (R.I.P. Nujabes)

こちらも聞いてください。
Reflection Eternal / Clammbon With Yamazaki, Mino & Yamane From Toe


 第8回(平成23年7月23日)

   こんにちは。Dr.Toshです。
  暑いですね。しかも今年は「節電」を強いられています。皆さん脱水症にならないように。節電もまあそこそこに頑張りましょう。

 今日は緩和ケアをはじめて以来、最初に病理解剖をさせていただいた患者さんの話をします。

 68歳男性、内装業の職人さんです。悪性腹膜中皮腫という珍しいがんでした。
  アスベスト歴25年以上あり、悪性胸膜中皮腫と診断されたら労災認定されるところでしたが、腹膜に病気があったため、認定されていませんでした。
  入院後1カ月が経った頃、「先生、痛みもとれ穏やかに過ごせている。ここに来て本当に良かった、満足している。ただ、自分が死んだら、家族のために病理解剖をして、労災だったことを証明してほしい。」と言われました。
 そして翌日、急変し、亡くなられました。本人の希望通り、すぐに医大に搬送し、病理解剖されました。
 私も解剖に立ち会いました。
   がんは全身に転移しており、全ての内臓はがんに覆われていました。
   亡くなる直前まで、歩けて、普通に会話ができ、食事もとれていたのです。
   「よくこんな状態で、今まで生きてこられたものだ、本当にぎりぎりまで頑張られたんだなあ。」と感じたのと同時に「緩和ケアの力がこの人に生きる力を与えたんだ。」とも感じました。
   その時、数年前教えていただいた言葉を思い出しました。
   「緩和ケアとは、症状緩和という知恵を用いて、人々の病における苦しみを取り除く仕事である。医療者は自らを空にして、眼前の方に大いなる光を与える仕事をしなければならない。自分自身が大いなる光そのものになること、そのことが医療者に与えられた使命である。」
  解剖の結果、がんはアスベストが影響していると証明されました。
  緩和ケアという光の力で、仕事をさせていただいている奇跡を日々感じています。

<今日の一曲>
今日は、皆さんにさわやかな風のような音楽を送りたいと思います。
以前も紹介しましたが、ブラジルのシンガーソングライターMilton NascimentoのCataventoという曲を聞いてください。
Milton Nascimento - Catavento


私は今日から1週間夏休みをいただいて、北アルプスに行ってきます。

           それでは Chao!


 第7回(平成23年7月1日)

  こんにちは。Dr.Toshです。
  先日は講演会にたくさんの方が来ていただきありがとうございました。
  いかがでしたでしょうか。また、感想などをいただければ嬉しいです。
  今日は、その時にも話した最近出会った患者さんの話をしたいと思います。
  40歳女性、胃癌の患者さんです。
  2年前に発見された時すでに進行がんでしたが、手術を受けました。しかし、半年後再発。その後も抗がん治療を続けられましたが、がんは進行し、肝臓、腹膜全体に及び、腸閉塞を来たしました。嘔吐、痛みがひどくなり治療されていた病院に入院しました。
  主治医からこれ以上の抗がん治療は難しいと、ホスピス転院を勧められましたが、まだあきらめたくない気持ちがあったため、非常に悩まれました。しかし、子供と一緒に過ごせる環境であることを知り、ホスピス転院を決意され入院してこられました。
  入院翌日、痛みは全く消失しました。そしてそれまで飲食は全くできませんでしたが、少量のジュースなどが取れるようになり、ここに来られたことをとても喜ばれました。
  しかし、悩みも打ち明けられました。
  「がんが全身に広がり、残された命も短いことを十分わかってはいるけど、子供にはまだ詳しいことを話していない。話さなくてはいけないと思うが、伝える勇気がない。」
  「まず、お子さんに毎日来てもらい、家族団欒の時間を十分取って、それからゆっくりとお話しましょう。」とお伝えしました。
  それからお子さんは御主人と毎日訪室されておられました。
  入院5日目のことです。夕方いつものように彼女の部屋を訪れました。
  痛みもなく良い時間を過ごしていること、子供はここに慣れてきたが、まだ病気のことは話せていない、などと語られました。
  時間が経ちそろそろ退出しようかな、と思っていると、彼女が語りかけてきました。
  「先生、怖い、死ぬことが・・・・。こんな年で死ぬことが悔しい・・・。みんなと会えなくなることがさびしい・・・。」
  「・・・・そうか、そうだよね。つらいね。」と返した後、次に話すことを考えました。
  これしかない、と意を決して、続けました。
  「今から医学的ではない話をします。死後の世界はあると思う。なければおかしい。死んだら終わりなら、努力したり成長したり頑張る必要はないだろう。この世は魂の修業の場、自分自身を成長させる所だ。自分自身の人生の問題集を解けた人が天国に行けるんだ。」
  「私、天国に行けるかな。」しばらくして彼女が聞いてきました。
  「もちろん行けるよ。ご主人と一緒にお子さんを立派に育てたじゃない。先に行って、みんなが来るのを待っていてね。」私は答えました。
  それから2日後の早朝、病棟から電話がかかってきました。彼女が急変した、との報でした。急いで駆け付けると、すでに昏睡状態に陥っており、脈も弱くなっていました。余命も時間単位だと直感しました。家族にすぐ来るように呼びました。彼女の両親は遠方で到着に時間がかかりましたが、なんとか間に合いました。
  家族が全員そろうと、なんと、彼女は眼を開けたんです。何とすごい精神力なのか。彼女は全員と話をされました。それから数時間後、彼女は穏やかに旅立ってゆかれました。
  数日後、ご主人があいさつにホスピス病棟に来られました。その時、彼女は亡くなる直前まで日記をつけていたことを教えてくれました。ホスピスに入院して、痛みが取れ、久しぶりに食べたアイスクリームがとてもおいしかったこと、スタッフに優しく接してもらったり、力づけてもらったことなどが書かれていたそうです。
  そして、お子さんと話したことも書いてあったそうです。
  それは、「お母さんがいなくなっても元気で、幸せになってね。」とお子さんに話すと、「わかった、でもお母さんこそ幸せになってよ。」と答えた、というものでした。
  「ちゃんとお子さんに言えたんですね。ホスピスで過ごされた時間は短かったのでお子さんに伝えられなかったのではと思っていました。伝えられて良かったです。お母さんはきっと、いや間違いなく天国で幸せに暮らしているよ。」と心の中で叫びました。

 <今日の一曲>
  今日の話に合うようなBGMを考えていると、この曲を思い浮かべました。
  ターコイズブルーのレコードジャケットのサントラ盤。
  Armando Trovajoliというイタリアの作曲家が、映画のサントラのために書いた曲です。
  オリジナル盤は貴重盤で高嶺の花だったのですが、今は再発盤が出たので手に入れています。聞いてみてください。
  Armando Trovajoli - Dramma delle Gelosia



 第6回(平成23年6月13日)

今日は。Dr.Toshです。
 お久しぶりです。

 以前、檜作会長がお話しされた講演会について、サイコオンコロジー学会の雑誌に投稿した原稿を転載します。(学会誌ですので皆さんは読めないと思いますので。)

「死の臨床研究会でのコミュニケーション関連のシンポジウム、及び講演会開催の試み」 
    国保中央病院緩和ケア科 四宮敏章

 第17回日本死の臨床研究会近畿支部大会が、2011年2月5日奈良県橿原文化会館にて開催された。
 大会長である奈良県立医科大学附属病院緩和ケアセンター 山崎正晴先生と相談し、今大会のテーマを「緩和ケアにおけるコミュニケーションを再考する」とした。

 午前中は、「がん患者・家族・医療者の絆を確かなものにするコミュニケーションとは?」と題し、シンポジウムを行った。シンポジストには、多職種の先生方にお願いした。近畿大学医学部腫瘍内科 藤阪保仁先生、済生会中和病院緩和ケア認定看護師 福村あすかさん、近畿中央胸部疾患センター 池山晴人さん、国保中央病院緩和ケアホーム飛鳥・遺族会「飛鳥の会」会長 檜作純一さん、大阪大学コミュニケーションデザインセンター 平井啓先生にそれぞれ基調講演をいただき、山崎先生と私が司会を行った。

 藤阪先生は、医療者と患者・家族には認識において常に少なからずギャップは存在する、そこを埋めるには医療者の誠意と、情熱である、と話された。
 「あんなに頑張っている先生もいるんやね、まだまだ捨てたもんじゃないな。」と散会後一般の方が言われたことが印象的であった。


 続いて福村さんより看護師の立場からの発言があった。
 看護師の役割は患者のケアのみではなく、医師―患者関係におけるコーディネーターである、と強調された。

 池山さんはMSWとして家族の視点から見たコミュニケーションについて語っていただいた。
 システムとして家族を見ることの大切さを話された。

 檜作さんには、今回特別に遺族の立場でお話をしていただいた。
 多くの患者、家族がまだまだ医療者の言葉に傷ついている現状について力説された。(大勢の医療者を前にして勇気のいることだったと思います。ありがとうございました。)

 最後に平井先生より、コミュニケーションスキルに重点がおかれているような昨今の現状を踏まえ、医療コミュニケーションの本来の目的について話され、その後、ディスカッションに移った。

 ディスカッションには会場の参加者も交え、双方向的に行えたと思う。様々な点が論議されたが、最終的には医療者のこころ・気持ちがいかに患者・家族に伝わるかが大事である、という点で締められた。

 午後からは、国立がんセンタ―東病院・精神腫瘍学開発部 小川朝生先生、大阪大学医学部・緩和医療科 恒藤 暁先生にそれぞれ約1時間の御講演をいただいた。

 小川先生には、「コミュニケーションに悩まなくても大丈夫−精神科をうまく使っていただくために−」と題してお話しいただいた。
 コミュニケーションに難渋する症例には、難治性のうつ病や、アスペルガー症候群などの広汎性発達障害などが含まれることがあり、それらのケースではコミュニケーションの問題ではない、ということを教わり、まさに目からうろこであった。

 恒藤先生は「緩和ケアの真髄−苦痛・苦悩のある人間との出会いと理解−」と題し、お話しいただいた。
 いつもの恒藤先生らしい感動的なお話で、涙される参加者も多かった。

 医療コミュニケーションの問題は、患者・家族を含んだチームとしてみてゆくべきであるという視点から、今回は遺族も含めた多職種の方々にお集まりいただき、有意義な議論が深められたと思う。今後もサイコオンコロジストが中心となって、このようなコミュニケーションをテーマとしたシンポジウム、講演会が開催されることを望む。

<今日の一曲>

 以前より手に入れたいレコードがやっと入手できました。
 France Gallという歌手のものですが、1960〜70年代に活躍したフランスのアイドル歌手です。
 当時、日本でも「恋するフランス人形」がヒットしたのでご存じの方も多いと思います。
 その中の大好きな曲を紹介します。

          Plus Haut Que Moi

 また、この曲のオリジナルをミックスした画像も紹介します。Toquinhoというブラジルのシンガーソングライターのものです。

          France Gall x Toquinho


 第5回(平成23年5月22日)
  先日、映画「岳」を高校生の息子、岳と一緒に見に行ってきました。(私は高校時代から山に登っており、登山が好きな子に育ってほしいと思い、岳と名づけました。)
  原作の漫画も好きで読んでいましたので、映画化されることも以前から知っており、封切されると見に行きたいと思っていました。
  主役の三歩は、ボランティアの山岳救助隊です。彼は山で遭難した人に対して、助かった人にも、亡くなった人にも等しく「よく頑張った。」とねぎらいます。さらに、助かった人には「また、山においでよ。」と常に笑顔で伝えます。
  山で遭難する人にはするだけの理由があります。山を甘く見ている、なめていることが原因の多くを占めます。私も若いころから山に登っており、医学生の頃から、さらに医者として診療班として登山した経験からそう言えます。
  しかし、三歩は一切彼らを責めません。それどころか、助かった人に「命を大事にしてありがとう。」とさえ、言うのです。(それにはある理由がありますが、映画を見ていない人のためにノーコメントとします。)
  三歩ほどのクライマーなら遭難する人の未熟さは手に取るようにわかるはずなのに、一切そのことは言わない、ただ「ありがとう」とだけ言うのです。「許す」ことのできる大きな愛を彼に感じました。
  だからこそ、彼に救助された人はまた山に帰ってくるのでしょう。
  過ちを犯した人を許せるか(自分も含めて)。見終わって、大きなテーマをもらった気がしました。
  まあ、難しいことを考えなくても、山が(特に僕の大好きな北アルプスの山々が)美しく描かれている映画です。今年も登ることが楽しみになりました。
  皆さんも是非見てください。そして一緒に山に登りましょう。

<今日の一曲>
  三歩の笑顔を見ていると、Smileと言う曲を思い浮かべました。チャップリンがライムライトという映画で作った名曲です。
  これも多くのアーティストがカバーしています。

  今日はブラジルで1960〜70年代に活躍した、TrioEsperancaのカバーでお送りいたします。
  Trio Esperanca「Smile」


  [Smile]

  Smile, though your heart is aching
  Smile, even though it'sbreaking
  Whenthere are clouds in the sky
  You'll get by...

  If you smile
  With your fear and sorrow
  Smile and maybetomorrow
  You'll find that life is still worthwhile
  If you just...

  Light up yourface with gladness
  Hide every trace of sadness
  Although a tear may be ever sonear
  That'sthe time you must keep on trying
  Smile, what's the use of crying
  You'll find that life is stillworthwhile
  Ifyou just...

  Smile, though your heart is aching
  Smile, even though it'sbreaking
  Whenthere are clouds in the sky
  You'll get by...

  If you smile
  Through your fear and sorrow
  Smile and maybetomorrow
  You'll find that life is still worthwhile
  If you justsmile...

  That's the time you must keep on trying
  Smile, what's the use ofcrying
  You'llfind that life is still worthwhile
  If you just smile

  訳詞:四宮敏章

  さぁ、笑って 辛い時こそ
  そう、笑おうよ くじけそうになるときでも
  空を雲がおおっていても 笑顔を忘れずにいれば
  きっとどんな困難だって乗り越えられる

  もしも君が いつでも心に笑顔を忘れずにいれば
  不安やつらい事にだって ちゃんと立ち向かえるはず
  人生は捨てたものじゃないってわかるはずだ

  いつも喜びに満ちた笑顔で顔を輝かせていよう
  悲しみが押し寄せて 涙がこぼれそうになるとき
  そんな時こそ 笑顔が必要だ
  そう、君は笑顔のほうがずっと素敵さ

  どうかこのことを信じていてほしい
  いつも笑顔を忘れずに生きていればこそ
  素晴しい出会いや生きがいにめぐり合えるのだということを



 第4回(平成23年4月25日)
  4月になって、毎週月曜日だけ、医大から医学生が実習に来られるようになりました。
  今日、彼とホスピス医師3人とで一緒に昼食を食べていた時のことです。
  医師にとって、一番大切なものは何か、という話題になりました。
  豊富な医学的知識、確実な技術、より多くの経験、コミュニケ―ション能力、等など。
  いろいろ出てきましたが、一番大切な、という点では、「患者さんに対する思いやり」ではないか、という意見で一致しました。
  自分と出会った患者さんを大事に思い、大切に扱うこと、真心で接すること、これらがないと、いくら知識や技術があっても医療者としては2流だろうと思います。
  医療者にとって一番大切なものは「愛」だと思います。
  現代医療においても難病といわれるものは非常に多くあります。がんがその代表だと思います。
  がんを治すことはほとんどできません。
  がん患者を癒すことも常にはできません。
  しかし愛する気持ちをもって側にいることは、その気になればいつでもできることだと思います。
  そしてそれこそが医療者にとって一番大切なことだと思っています。

  昔からブラジル音楽が好きで、LPやCDを合わせると500〜600枚以上になると思いますが、その中で今の自分の気持ちを語ってくれる曲を紹介したいと思います。
  ミルトン・ナシメントというシンガーソングライタ―のTravessiaという曲です。
  1970年代に作られた曲ですが、今でも多くの人たちにカバーされています。


  TRAVESSIA (The Bridges) Milton Nascimento
  I have crossed a thousandbridges
  In mysearch for something real
  There were great suspension bridges
  Made like spiderwebs ofsteel
  Therewere tiny wooden trestles
  And there were bridges made of stone
  I have always been astranger
  AndI've always been alone
  There's a bridge to tomorrow
  There's a bridge from the past
  There's a bridge made ofsorrow
  That Ipray will not last
  There's a bridge made of colors
  In the sky high above
  And I think that there mustbe
  Bridgesmade out of love
  I can see her in the distance
  On the river's other shore
  And her hands reach out inlonging
  As myown have done before
  And I call across to tell her
  Where I believe the bridge mustlie
  And I'llfind it  
  Yes,I'll find it
  If I search until I die
  When the bridge is between us
  We'll have nothing tofear
  We willrun through the sunlight
  And I'll meet her halfway
  There's a bridge made ofcolors
  In thesky high above
  And I'm certain that somewhere
  There's a bridge made of love

  TRAVESSIA(橋)  歌詞訳 四宮敏章
  確かな何かを求めて 僕は幾千もの橋を渡ってきた。
  鉄線を蜘蛛の巣のように張り巡らしてある吊り橋もあった。
  小さな板きれの橋もあった。
  固い石でできている橋もあった。
  僕はどこでも理解されず いつでもひとりっきりだと思っていた。

  未来につながる橋もある。
  過去につながる橋もある。
  つらく悲しみの思いがつながってできている橋もある。
  大空高く続く虹のような 輝く色でできた橋もある。
  僕は祈る。
  世界中のすべての橋が 愛で作られるようになることを。

  川の向こう岸に誰かがいる。
  遠く離れたところだけど 昔の僕のように何かを求め その人は手を伸ばしている。
  僕は大声でその人に呼びかける。
  「その橋はきっとあるよ。君は見つけられる。そうさ 必ず見つかる。
  探し続けることをあきらめたりしなければね。」

  僕たちをつなぐ橋さえあれば 恐れることなど何もない。
  太陽の光に向かって歩んでゆけば 僕たちは橋の上で会えるのだから。
  大空高く続く虹のような輝く色でできた愛という名の橋を 
  僕たちは世界中に架けてゆこう。

  (注)Travessiaとはポルトガル語でつながりを意味する言葉だそうです。ミルトンはこれを自身で英訳するときに、Bridgeと表現したようです。

<今日の一曲>
  Ann Sally 「TRAVESSIA」


 第3回(平成23年4月1日)
 前回の親睦会に参加していただいた方々より多くの投稿を頂きました。
 ありがとうございます。
 こんな風に思いをシェアし、少しづつでも皆さんとつながっていければと思います。

 今回は、緩和ケアホーム「飛鳥」の5周年記念誌に書かせていただいたことを掲載します。 なお、5周年記念誌は関係者以外には配布しておりませんので、お読みになりたい方は「飛鳥の会」の開催時にお申し出下さい。


 奈良県で緩和ケアをしている仲間たちと話しているときでした。
 自分が死ぬとき、あるいは葬式にかけてほしい曲は何か、という話題になりました。
 好きな曲は色々あるけど、そんなときの一曲となると難しいな、と思いましたが、あの曲だ、と思いました。
 それはカーティス・メイフィールドの「People getready」でした。
 彼は60年代から80年代にかけて活躍したアメリカの黒人歌手です。
 残念ながら、すでに亡くなっていますが、彼こそが私の中では魂(Soul)のシンガーだと思っています。
 詩を載せます。

 People Get Ready by CurtisMayfield  (訳詞 四宮敏章)
 People get ready
 There's a train a comin'
 You don't need no baggage you just get onboard
 All youneed is faith 
 To hear the diesel comin'
 Don't need no ticket you just thank theLord
 So Peopleget ready
 Trainto Jordan
 Picking up passengers from coast to coast
 Faith is key
 Open the doors and boardthem
 There'shope for all among the love the most
 There ain't no room for the hopelesssinner
 Whowould hurt all mankind just to save his own soul(believe me now)
 Have pity on those whosechances grow thinner
 There ain't no hiding place from the Kingdom'sthrone
 Peopleget ready
 There's a train a comin'
 You don't need no baggage you just get onboard
 All youneed is faith
 To hear the diesel comin'
 Don't need no ticket you just thank theLord

 用意はいいかい。列車が来るよ。
 持っていくものは何もない。切符もいらない。
 今まで生きてきたことに感謝の気持ちをもって、
 その列車に乗るのを、ただ待てばいい。
 もう支度はできたかい。ヨルダン行きの列車が来るよ。
 国中の人たちが乗る列車だ。
 大いなるものを信じ、それを愛する者の前に列車の扉は開く。
 神の祝福が待っている。
 人を傷つけ、自らも傷つけ、自分ひとりだけで生きていると思っている
 罪人(つみびと)は列車に乗れない。
 神の王国の天使からの祝福を受ける幸運を、自ら逃している。
 残念なことだ。(主を信じなさい)
 列車が来る時間だ。
 ほら、列車の鼓動が聞こえてきただろう。
 さあ、列車に乗ろう。
 神への感謝の言葉とともに。
(ヨルダン川は、キリスト教の聖地でイエスがヨハネから洗礼を受けた場所)

 この曲は公民権運動のリーダーであったキング牧師に捧げた歌だったと聞いていますが、今の耳で聞くと、緩和ケアの真髄を歌っているように聞こえます。
<今日の一曲>
  Curtis Mayfield 「People Get Ready」


 第2回(平成23年3月31日)
 こんにちは
 Toshです。
 明日から4月。ようやく春ですね。

 大震災の被災者の方々は今でも大変な日々をお暮らしと思います。
 本当の春はこれからですが、必ず立ち直れる、という強い気持ちをもって頑張っていただきたいと心から思います。

 29日サッカー日本代表選手たちによるチャリティーマッチが行われました。
 そこでは全ての選手たちが復興をかけて素晴らしい試合をやってくれました。
 その中でも、44歳カズこと三浦和義選手がなんと、最高のゴールを決めてくれました。
 サッカーのフィールドプレーヤーで40歳を過ぎて現役でやれる選手は、現代サッカーでは全世界をみわたしてもまずいません。
 カズも引退した方がいいという意見が最近では多く目についていました。
 それでも彼は現役にこだわっていました。
 そして今回の試合。
 ゴールを決めたこともそうですが、随所で光るプレーが目につきました。
 彼はまさしく我々中年世代の星です。

 その日は、彼から頑張る力をもらいました。
 その試合を観ていた被災地のみなさん、子供たちも多くのエネルギーをもらったに違いありません。
 必ず立ち直れます。
 そのことを信じてみんなで被災地を、そして日本を復興し、世界の範たる国にしていきましょう。

 さて、今のこの季節と言えば卒業、そして新しい出発のときですね。
 死ぬことはこの世からの卒業、と考えたことはありませんか。
 今回はそんな気持ちにさせてもらった「看取り」のお話をしようと思います。

 44歳 男性、大腸がんの患者さんです。

 4年前の秋、検診で発見され、初期に近いから手術で治るといわれ手術を受けました。
 しかし半年後再発、再手術されました。
 また半年後再発し今度は人工肛門にしなければいけませんでした。
 その後も骨や、脳にも転移し、その度ごとに抗癌剤、放射線治療を受けました。

 高校の先生で、今の高校に来てからはブラスバンドの顧問も勤め、「熱血先生」といわれていました。
 闘病生活をしながら、教師も続けていましたが、とうとう抗癌剤も効かなくなり、ホスピスに入院されました。
 入院当日に彼は
  「今は体力が落ちて、痛みもあるから治療が受けられない。痛みを取ってもらって体力をつけた   ら、また頑張って治療をする。」
と話されました。

 両親も
  「一人息子をこんな形で失うのはつらい。何とか奇跡が起きて、良くなってほしい。」
と話されました。

 特に父親は
  「手術した病院が小さい病院だったからだめだったんだ、
   もっと大きい病院で治療していたらこんなことにはならなかったのに。」とか、
  「この間息子の学校の先生が来て、息子は一人で頑張っていましたといいおった。
   過労やストレスで癌になった、学校に殺されたようなものだ。」
と我々に話されました。

 一方奥さんは
  「ふたりの子供は7歳と4歳です。私一人で育てるのは不安です。
   でも覚悟はしなくては。」
と現実的な話をされていました。

 三者三様、思いは違っていました。

 病状は彼が思っているよりも進行していました。
 癌は骨盤に転移し下半身の神経を圧迫しており、下半身麻痺、膀胱障害が急速に進行してきました。
 寝たきりとなり、膀胱に管を入れないと尿が出なくなりました。
 切除した大腸の部分に膿が溜まり、それが広がって熱が止まらない状態となりました。
 管を入れて何とか膿を外に出し命の危険はなくなりましたが、体は急速に衰弱してきました。
 体が衰弱してくると平行して彼は極端に無口になりました。

 特に痛みが緩和され、痛みのことを訴えなくなるとさらにエスカレートし、訪室しても会話が無いときも多くなりました。

 家族に対しても同じでした。
 奥さんが、「何か子供たちに話してよ。今しかないかもしれないのよ。」
と言っても何も語ろうとはしませんでした。
 とうとう「普段から無口な人でしたから、もうあきらめています。」
と奥さんは話されるようになりました。

 週単位で彼の衰弱は進行しました。
 入院して6週目ごろには脳転移からの出血が判明し、嘔吐で食事も十分に取れなくなりました。
 それでも彼は最小限の会話のみしかしようとはしませんでした。
 スタッフからは精神的なケアができない、と不満感が表出し、カンファレンスを持ちましたが効果的な解決法は出ませんでした。

 2ヶ月が経過し衰弱はますます進行してきました。
 筋肉は無くなり、ほとんど骨と皮だけとなりました。
 父親もが「奇跡は起こらなかった。あとは楽にしてやってください。」
と話されるようになりました。

 その2週間後、徐々に呼吸状態も悪化し、命もあと数日か、と思われたある日のことです。
 彼が息も絶え絶えに「先生、しんどい、楽にしてくれ。」と話された後、昏睡状態となりました。

 「この人、癌になってはじめてしんどいと言わはったわ。」
 奥さんが驚いたように言われました。

 そのとき、はっと気づいたのです。

 ああ、この人は闘っていたんだ、
 どんなに痛くても、どんなにしんどくても、
 いくら周りの者があきらめても、自分はあきらめず最後まで一人静かに癌と闘っていたんだ、

 そして、あなたは最後まであきらめずに癌と向き合っていたんですね、
 そのことを察知できず僕はあなたに早くあきらめろ、という想いで接していたかもしれません、
 ごめんなさい、と、こころの中で彼に謝りました。

 その6日後、彼は亡くなりました。
 お葬式は700人以上の人々が集まり、そのうち半数は彼の生徒さんたちだったそうです。
 吹奏楽部の生徒さんたちは泣くのをこらえて最後まで彼のために演奏したそうです。
 後で奥さんが訪ねてこられて、そのことをお聞きしました。

 生徒のことを一生懸命に考え、生徒から本当に慕われていた先生だったんだなあ、
 ただ、不器用だったので、我々や家族にはそう見えなかっただけだったんだ、
と思いました。

 彼の看取りのとき、
 CDプレーヤーからユーミンの「卒業写真」のオルゴール曲が静かに流れていました。
 奥さんが流していたようです。

 曲が彼に聞こえたのかどうかはわかりませんが、彼の顔はとても穏やかでした。
 そのとき不意に、死ぬことってこの世からの卒業なんだ、という想いが浮かんできたのです。
 我々もいつかはこの世から去らねばなりません。
 死ぬこととはこの世からの旅立ち、
 この世の修行を終えてこの世という学校から「卒業」することかもしれません。
 彼の最後まであきらめない生き方、
 そして彼の最期を看取らせて頂いてそんな気持ちにさせてもらいました。

<今日の一曲>
 今回の震災が起こった日。
 帰宅中の車の中でカーステレオから流れていた曲です。
 女性DJがこの曲を被災された人たちに捧げます、と言っていたことが印象的でした。

  Rumor 「Slow」


 第1回(平成23年3月27日)
 こんにちは。はじめまして。
 Dr.Toshこと四宮敏章です。国保中央病院、緩和ケアホーム「飛鳥」で働いている医師です。
緩和ケア、心療内科を専門にしています。よろしくお願いします。
 「飛鳥の会」のみなさんのご厚意でこのブログをやらせていただくことになりました。
 毎日はとても無理なので、週1更新を目標に活動させていただこうと思います。
 このブログでは、緩和ケアホームスタッフの日常、患者さんとの触れ合い、さらには奈良県の緩和ケアの状況、自分の趣味のこと(中古レコード収集が趣味です。ジャズ、ソフトロック、ブラジル音楽など聞いています。)その他もろもろ自分が感じたり、思ったりしたことをつれづれに書きたいと思います。
 皆さんの感想などいただければ幸いです。
 さて、初回ですが、以前雑誌に書かせていただいた文章を載せたいと思います。
「遺族ケア」と題して書いた雑文ですが、皆さんの参考になれば嬉しいです。

遺族ケアについて
「最近体がしんどくて、しんどくて。何をするにもつらいんです。時折からだじゅうがちくちく痛むこともあって。一週間前、近くの内科で調べてもらってもどこも異常がないと言われました。自分ではまあまあ寝られていると思っていたんですが、睡眠誘導剤をもらって飲むと、よく眠れて。今まであまり眠れていなかったみたいです。僕、どこか悪いんでしょうかね。」
外来初診で一人の男性が話しかけてきた。
「お仕事は今まで通りできていますか。」私が尋ねると、
「できていません。何とかこなしているって感じです。家ではもう何にも出来なくて、寝転がっていることがほとんどです。家族も心配していろいろ言ってくれるんですが、むしろ苦痛で、どうしてこうなんだろうと落ち込みます。」
「2か月前、うちのホスピスでお母様を見送られましたよね。それからお母様のことはよく考えられますか。」
「もういつもです。どうしてもっと早く病院に連れて行かなかったんだろうとか、あの時こうしてやっていればよかったとか、後悔の思いばかりが浮かんできます。」と涙された。
付き添いで来られた奥さんが話された。
「退院の時、主治医の先生が、ご家族で何か困った時はホスピス長が心療内科医なので相談されるといいですよ、と言ってくださったのを思い出して今日来ました。」
 診察したのち、彼に伝えた。
「あなたの場合、お母さんががんにかかり亡くなったことがきっかけとなり、うつ状態になっていると思います。心のエネルギーが低下した状態、車でたとえるならエンジンオイル切れの状態です。心のエンジンオイルである抗うつ薬などを服用しつつ様子を見ませんか。必ず良くなりますから。」
「そうですか。どこか体に悪いところがあると思っていましたが、よくわかりました。安心しました。今後ともよろしくお願いします。」

 HolmesTH&RaheRHらは、人生の様々な様相におけるストレスのうち、最大のストレスは配偶者の死で、ストレス度は100点満点で100点、肉親の死は63点であると言っている。そしてそのストレスは、遺族に身体的・精神的な影響を及ぼす。
 配偶者を亡くした54歳以上の男性では、配偶者のいる場合と比較して死別後6か月の死亡率は約40%上昇し、死因の3/4は心疾患であるという。また、死別後の遺族に関するうつ病罹患率調査では、20〜30%と高い。死別後1年以内の自殺率も有意に高いことが指摘されている。イギリスのホスピスでは、遺族に対するコンサルテーション事業を開始してから遺族の自殺率が減少しているという。
上記のように、遺族に対する援助の必要性は明らかであるが、実際はどうであろうか。精神科や心療内科を実際に受診する家族・遺族は少ないのが現状であると思われる。
 冒頭紹介した患者さんのように、不調の原因が体にあると思い放置していたり、周囲の人間も「大事な人を亡くした後はつらくなって当たり前」とうつになっていることを無視することも多いのではないかと感じる。離別後、2年も3年も悲しみから立ち直れない人たちが少なからずおられることも年2回開催している「遺族会」で知り、愕然としたこともあった。
当ホスピスでは開設当初より、亡くなられた患者さんの家族に調子が悪くなったらいつでも相談してくださいと、できるだけ声をかけている。3年ほど前に「家族・遺族外来」を立ち上げ、心療内科医である筆者が遺族・家族の方を定期的に診察させていただいている。
「家族・遺族外来」でみせていただいている患者さんは、ほとんどの方が少しずつではあるが良くなっていかれている。大腸がんで夫を亡くされた45歳の教師の方は、1年半休職していたが復職できた。また、膵臓がんで妻を亡くされた62歳の男性も、1年かかったがアルバイトなどの仕事ができるようになってきた。
遺族ケアは症状の軽い段階で行えば行うほど、治癒が早いという実感もある。もっと多くの方たちに利用していただきたいと思う。
 2007年施行された「がん対策基本法」では、「早期からの切れ目のない緩和ケア」を謳っている。家族を「第2の患者」と位置付け、家族ケアも早期からの緩和ケアの一環としてとらえる必要がある。そして、亡くなった後も遺族としてケアを継続することも非常に重要である。今後も家族ケア・遺族ケアに力を注いでゆきたいと思っている。