飛鳥の会               

飛鳥だより 第1号〜第26号 

飛鳥だより 第27号〜

   
    Dr. Tosh

 Dr.Toshと申します。
 奈良医大で緩和ケアに従事しています。
 このブログでは、仕事のこと、患者さんとの触れ合い、さらには奈良県の緩和ケアの状況、自分の趣味のこと(中古レコード収集が趣味です。 広い意味でのジャズ、ソフトロック、ブラジル音楽など聞いています。 山登りも生きがいです。) その他もろもろ自分が感じたり、思ったりしたことを不定期に、つれづれに、きままに書きたいと思います。 気長にお付き合いください。


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過去のブログ「Dr. Toshのホスピス通信」はこちらをご覧下さい。
Dr. Toshの徒然日記 

第5回(平成25年12月9日)

  12月になりました。
  あわただしいですね。
  先日、Medical Tribuneという医学新聞にエッセイを載せてもらいました。
  以下、それを引用します。

  私の趣味は登山で、最近暇をみつけては奈良の山々に登っています。 以前は、家族や仲間と一緒に登ることがほとんどだったのですが、最近はほとんど一人で登っています。 一人で登ってみて感じたことは、山の賑やかさです。様々な虫の鳴き声が聞こえます。 鳥たちのさえずりが聞こえてきます。 風の音、木々のそよめき、沢の音、雨、雷。色々な音たちがユニゾンで耳に届いてきます。 歩き始めてそれらに慣れてくる頃、自分の荒い息づかいのみが耳に聞こえてくる時があります。 体の疲れを感じている時です。 そしてそれにも慣れた頃、ふと無音になる時があります。 するとなぜか周りに何者か大勢の気配が感じます。 はじめは何だろう、と思っていました。 それを何回か体験すると、それは山の精霊たちではないか、と思えるようになりました。 今ではとても好意的な感じを受けています。 そして、最近では「何か大いなるもの」の存在も感じる時があります。 それはおそらく山の神々でしょう。 彼らは私たちを守ってくれています。 特に奈良県の南部の山々の神々はそうであると感じます。 古く大和の時代から、当時の日本人たちを守ってくれていたに違いありません。

  先日書店で、「人は死なない」という本を見つけました。 そんな馬鹿な、と瞬間的に思いましたが、著者を見てみると東大救急医学の教授ではないですか。 面白そう、と思い購入しました。読んでみると、人が死なない、という意味は、肉体は滅んでも、魂は不滅である、ということでした。 内容は面白く、概ね同感できました。 こういった内容の本を、大学教授が書いた勇気にも敬服いたしました。
  その中で、とりわけ興味深かったのは著者の学生時代の経験です。 彼は登山に打ち込みます。 というよりのめり込みます。 厳冬期の北アルプス縦走を単独で行ったのです。 そして2回の滑落という、死んでもおかしくない体験をします。 しかしそれでも彼は山に向かおうとします。 その時、山のほうから「もう山には来るな。」という声なき声が聞こえてきたのです。 それ以後彼は登山をやめ、医業に専念し、今の地位を築かれました。山の神々の警告が彼に届いたのだと思います。
 
  彼の著作を読んでいると、ある患者さんのことが思い浮かんできました。 40歳女性、胃癌の患者さんです。 2年前に発見された時すでに進行がんで、抗がん治療を続けられましたが、がんは進行し肝臓、腹膜全体に及び、腸閉塞を来たしました。 嘔吐、痛みがひどくなり治療されていた病院に入院しました。 主治医からこれ以上の抗がん治療は難しいと、緩和ケア病棟転院を勧められましたが、まだあきらめたくない気持ちがあったため、非常に悩まれました。 しかし、子供と一緒に過ごせる環境であることを知り、緩和ケア病棟転院を決意され入院してこられました。 入院翌日、痛みは全く消失しました。そしてそれまで飲食は全くできませんでしたが、少量のジュースなどが取れるようになり、ここに来られたことをとても喜ばれました。 しかし、悩みも打ち明けられました。 「がんが全身に広がり、残された命も短いことは十分わかってはいるけど、子供にはまだ詳しいことを話せていない。話さなくてはいけないと思うが、伝える勇気がない。」 「まずお子さんに毎日来てもらい、家族団欒の時間を十分取って、それからゆっくりとお話しましょう。」とお伝えしました。
  入院5日目のことです。 夕方いつものように彼女の部屋を訪れました。 痛みもなく良い時間を過ごしていること、子供はここに慣れてきたが、まだ病気のことは話せていない、などと語られました。 時間が経ちそろそろ退出しようかな、と思っていると、彼女が語りかけてきました。 「先生、怖い、死ぬことが・・・・。こんな年で死ぬことが悔しい・・・。みんなと会えなくなることがさびしい・・・。」 「・・・・そうか、そうだよね。つらいね。」と返した後、次に話すことを考えました。これしかないと思い、続けました。 「今から医学的ではない話をします。 僕は死後の世界はあると思う。 死んだら終わりなら、努力したり成長したり頑張る必要はないだろう。 この世は魂の修業の場、自分自身を成長させる所だ。 自分自身の人生の問題集を解けた人が天国に行けるんだ。」 「私、天国に行けるかな。」しばらくして彼女が聞いてきました。 「もちろん行けるよ。ご主人と一緒にお子さんを立派に育てたじゃない。 先に行って、みんなが来るのを待っていてね。」私は答えました。 それから2日後の早朝、病棟から電話がかかってきました。 彼女が急変した、との報でした。 急いで駆け付けると、すでに昏睡状態に陥っており、脈も弱くなっていました。 余命も時間単位だと直感しました。 家族にすぐ来るように伝えました。 彼女の両親は遠方で到着に時間がかかりましたが、なんとか間に合いました。 家族が全員そろうと、なんと、彼女は眼を開けました。 そして彼女は全員と話をされました。 それから数時間後、彼女は穏やかに旅立ってゆかれました。 数日後、ご主人があいさつに緩和ケア病棟に来られました。 その時、彼女は亡くなる直前まで日記をつけていたことを教えてくれました。 緩和ケア病棟に入院して、痛みが取れ、久しぶりに食べたアイスクリームがとてもおいしかったこと、スタッフに優しく接してもらったり、主治医に力づけてもらったりしたことなどが書かれていたそうです。 そして、お子さんと話したことも書いてあったそうです。 それは、「お母さんはもうすぐ天国に行くの。お母さんがいなくなっても元気で、幸せになってね。」とお子さんに話すと、「わかった、でもお母さんこそ天国で幸せになってよ。」と答えた、というものでした。

  Post Traumatic Growth(PTG)という概念が、最近心理学において言われています。 日本語で言うと、心的外傷後成長です。 つまり、心に大きな傷が残るような過酷な体験をした後に、それを乗り越えて精神的に成長していくこと、です。
  緩和ケアという仕事をはじめて、病を得てから大きな心の成長をされる方々をたくさん見てきました。 彼らから、死に直面した時にこそ、ひとは大きな成長をするものである、と思わされます。
  「人は死なない」の著者が言われるように、「我々の人生は死後も続く」のかもしれません。



 <今日の一曲>
  バカラックの名曲をアニタ・カーがアカペラで。
  Anita Kerr - A House Is Not A Home 他

  A chair is still a chair
  Even when there's no one sitting there
  But a chair is not a house
  And a house is not a home
  When there's no one there to hold you tight,
  And no one there you can kiss good night.

  A room is still a room
  Even when there's nothing there but gloom;
  But a room is not a house,
  And a house is not a home
  When the two of us are far apart
  And one of us has a broken heart. 

 (歌詞抄訳)
  椅子は座る人がいなくても椅子だけど
  椅子だけでは家じゃない
  そして家も家庭じゃない
  みんなを抱きしめる人がいなかったり
  お休みのキスをする人がいなければ

  部屋はただ暗がりであっても部屋だけど
  部屋だけでは家じゃない
  そして家も家庭じゃない
  僕たちふたりがお互いを傷つけて
  気持ちが離ればなれになったなら 
     

第4回(平成25年11月6日)

  皆さん。お久しぶりです。
  ブログが図らずも休止状態でした。 すみません。
  私のほうは相変わらず元気で頑張っています。
  仕事中心の生活です。
  また、月一を目標にアップしようと考えていますので、ときどきチェックして頂ければ嬉しいです。
  最近こんな映像がアップされたので、見てください。
  「いのちが一番輝く日」というホスピスを題材とした映画のトークショーに出ました。
       トークショー

  それでは <今日の一曲>
  最近のニュー・ディスカバリー「白い波」です。
  ナベサダ作曲、アストラッド・ジルベルト歌唱の昭和ボサノバです。

      白い波 by Astrud Gilberto

  ヒデとロザンナの出門英さん作詞です。

  ヒデとロザンナ歌唱もいいですね。ソフトロックです。

     白い波 by  ヒデとロザンナ



第3回(平成25年6月20日)

  先日の中村先生の講演会にたくさんの人が来てくださり、ありがとうございました。  いかがでしたでしょうか。 僕は自分の中に新たな発見があったりと、とても有意義な話でした。 そして何より、彼が緩和ケア医として日々成長しておられることが実感できてとてもうれしかったです。
  さて、皆さん、もしあなたが根治困難な進行がんになったとしたら、どんな風に伝えてほしいですか?
  そんな状態なら聞きたくない、と思われますか。 いや、余命も含めてありのまますべて伝えてほしい、と思われるでしょうか。 あるいはマイルドに、悪い部分はなるべくはしょって伝えてほしいと、思われますか。
  3月の遺族会に出席した時のことです。 御主人をホスピスで亡くされた女性が僕のそばに来て、こんな話をしてくれました。
  「3年前、ホスピスで主人を看取ったことは良かったと思っています。 でも、今でも悔いていることがあります。 主治医の先生が、主人のがんが進行したらどんなことになるか、もっと早い時に言って欲しかった。」
  彼女の御主人は大腸がんで脊髄に転移があり、ホスピスに来られた時は転移が進行して下半身まひになっていたのです。
  「夫が歩けなくなる前に、2人でいろんなところに旅行したかったんです。 いずれ下半身まひになるのならもっと早めに言ってくれていれば。ホスピスでは痛みもなく過ごせたけど、結局外出はできなかった。 そのことを最期まで夫は言っていました。 主治医の先生はまひになることはかなり早い時にわかってたみたいなんです。 やさしい先生だったから、可哀そうだと思って言ってくれなかったんですね。 でも逆にそのほうが残酷だった。」
  その時、隣で聞いていた一人の女性が話しかけてきました。
  「先生、私の父にはホスピスで、先生に本当のこと言ってもらって良かったです。 はじめ、私は言わないでほしいと思ってたけど、先生のおかげで父は思い残すことなく逝けました。 家族みんなで感謝しています。」
  彼女のおとうさんはお腹にできた脂肪肉腫が再発し、治療ができなくなりホスピスにやってきた人でした。 彼は主治医から今後の治療のことははっきり言われていませんでした。 初診では、彼は「元気になったらまた手術するんだ。」と言われていました。
  2週間後、彼は入院してきました。 ところが、状況は一変していました。痛みと呼吸困難で寝たきり状態、食事摂取も不可能になっていました。 腫瘍が急速に大きくなり、周囲の臓器を圧迫していたのです。  家族には1〜2週間の余命を覚悟してください、と伝えました。
  しかし、医療用麻薬、ステロイド剤などの投与により症状は緩和されたのです。 元気になり外出、外泊可能な状態にまで回復されました。 ところが、CT検査をしてみたら、腫瘍は小さくなっているどころか、むしろ大きくなっていたのです。 薬剤の効果により、一時的に症状が緩和されていたのでした。こういうことはよく起こります。
  僕は、「症状緩和ができている今を大事に過ごしてもらいたい、ありのままの事実を本人に伝えよう。」と思いました。 そして、本人、家族に「よくなったように感じておられるかもしれませんが、腫瘍はむしろ大きくなっています。 今が良い時間を過ごせる時です。」と伝えました。 彼は、はじめは衝撃を受けたようでしたが、「わかりました、先生よく言ってくれました。」と答えられました。
  数日後、彼は「広島へ行きたい、人生の最期に、自分の原点の土地に行くんだ。」と言われました。 実は彼は中学生の時、広島で被爆したのです。 しかも爆心から約1kmの地点で。 周囲の人たちは全員死亡したそうです。 彼だけが助かったのでした。 その後大阪に出てきて会社を興し成功され、今は息子たちにあとを継がせていました。
  お腹に大きな爆弾を抱えているような状態です。 いつ急変するかもわかりません。 僕はやや躊躇しましたが、彼の気持ちは変わりませんでした。 家族も「お父さんがそういうなら、私たちも覚悟を決めました。 一緒に広島へ行きます。」 そう言って、彼らは広島へ2泊3日の旅に出かけました。
  3日後、「先生、帰ってきたよ。」彼は笑顔で無事に帰院されました。 それからも彼はホスピスで生活を続けました。 徐々に衰弱してきましたが、明るく淡々と過ごされました。
  3ヶ月後、彼はベットから起きられない状態になっていました。 彼は僕に言いました。「もう先がない。息子たちに伝えたいことがある。半日だけでいい。3人だけにして、誰も入らせないようにしてくれないか。」
  僕たちも?思わず言いそうになりましたが、僕は彼の言われるとおりにしました。 病室での長い話が終わった後の、彼と息子さんたちの笑顔は今でも忘れられません。 それから3日後、彼は家族の見守るなか、安らかに旅立たれました。
  「Hope For The Best,Prepare For The Worst.」 (最悪の事態の準備をしながら、希望を持って生きる。) という言葉があります。 彼はそのように最期まで生きられたと思います。 そのためには、ありのままのことを本人に言うべき時には言う、勇気も必要です。 ホスピスは、彼のように生きることを支援できる場であると確信しています。


 <今日の一曲>
  最近の愛聴盤です。
  フランスの伊達男Henri Salvador 晩年の曲Jardin d'Hiverです。
  こんなかっこいいじじいになりたい。


  Henri Salvador -Jardin d'Hiver



第2回(平成25年4月8日)

  各地で桜が咲いています。
  皆さん、お花見されましたか?
   私は慣れない電子カルテと奮闘しながら、なんとか仕事をこなしています。
  先日は遺族会の総会に出席させていただきました。 懐かしい人たちともお会いでき、楽しいひと時を過ごさせていただきました。 ありがとうございました。
  さて、前回の続きです。
  「2週間前、夫と一緒にがんと言われた時は割と冷静に聞けたの。 あとから悲しくなってきて、一人で泣いてしまった。 死ぬことしか考えられなくなった。 今はこの抗がん剤が効くことを祈るだけ。 去年夫が退職して、二人でどこに旅行しようとか話し合ったり、4月に生まれる予定の内孫の世話のことを考えていたのに、全部御破算になってしまった。 こないだ夫が一人で泣いているのを見たの。 みんなの前では明るくふるまおう、迷惑をかけてはいけないと思うんだけど、もう限界よ。」 と話され、涙されました。
  私たち(頼もしいがん看護専門看護師と一緒に仕事をしています)は、ただ黙って彼女の話を聴きました。 彼女の話が終わった時、 「がんと言われたあなたのこころに起きること」 という小冊子を彼女に手渡しました。
  その中の図を見せて、 「あなただけではないですよ、皆さんそのようになります。 でも多くの方は徐々に元に戻ります。 しばらくはつらい時が続くでしょうが、つらくてたまらない時はこのお薬を飲んでください。」 と言って抗不安剤を処方しました。

  翌日からほぼ毎日、彼女の部屋を訪れました。徐々に彼女は明るくなっていきました。
  「薬に頼ってはいけないと我慢してたけど、昨日先生の出してくれた薬を飲んだの。 そしたら楽になってゆっくり寝られたわ。 我慢しなくていいのね。 あさって退院だけど、何とかやれそうよ。」
  そう言って彼女は退院されました。 1週間後、私たちの外来に御主人と一緒にやってきました。
  「家では普通に過ごせたわ。 主人も色々してくれるし。 どこまで治療ができるかわからないけど、主治医の先生を信じてやれるとこまでやろうと思ってる。 先生ありがとう。 また気持ちがしんどくなったら診てくださいね。」 彼女は笑顔でそう話されました。
  がんと診断された後の患者さんのこころのケア、治療中の患者さんのよろづ相談、家族の相談相手。 そういった仕事もがん治療病院での緩和ケアには大事なんだな。 この1カ月で感じていることです。


  <今日の一曲>
  Sospesi tra le nuvole - ENNIO MORRICONE
  モリコーネ先生のこころに沁み入る1曲をどうぞ。 



第1回(平成25年3月8日)

   Dr. Toshホスピス通信は前回(平成25年2月27日)で終了しましたが、飛鳥の会の御好意で、新しいバージョンで再スタートさせていただくことになりました。 イェーイ。
  皆さんよろしくね。
  さて、僕は3月1日から、8年間働いたホスピスを退職し、医科大学で緩和ケアの仕事を始めました。 主としてがんの治療中の患者さんの緩和ケアを担当することになります。 今までは、がんの治療が終わった方、さらには終末期のケアが主だった仕事であったので、同じ緩和ケアといえどもかなり内容が変わってきます。
  皆さん、「診断時からの緩和ケア」ときいてどんなイメージがありますか。 これは今年から厚労省が提唱するメッセージなんですが、イメージできますか? 僕たちはこのメッセージをどのように国民に伝えていくか頭を悩ませ中です。 皆さん、ご意見をお聞かせください。
  少し例を載せます。 医大勤務初日のことです。 初診の依頼がありました。 70代の女性で2週間前進行肺がんと診断され、化学療法導入のため、入院してきた患者さんでした。 病棟に貼ってあった緩和ケアのポスターを見て、希望されての受診でした。
  「2週間前、夫と一緒にがんと言われた時は割と冷静に聞けたの。 あとから悲しくなってきて、一人で泣いてしまった。 死ぬことしか考えられなくなった。 今はこの抗がん剤が効くことを祈るだけ。 去年夫が退職して、二人でどこに旅行しようとか話し合ったり、4月に生まれる予定の内孫の世話のことを考えていたのに、全部御破算になってしまった。 こないだ夫が一人で泣いているのを見たの。 みんなの前では明るくふるまおう、迷惑をかけてはいけないと思うんだけど、もう限界よ。」 と話され、涙されました。
  この後の経過は次回で。


  <今日の一曲>
 松崎しげる すごいぜ。
  毎朝この曲で起きています。
  愛のボラーレ feat. シゲル・マツザキ